潜在意識の自動的な働き5

 

 

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潜在的な意識領域に溜まった感情エネルギーを昇華してゆくためには、感情を再体験して感情を味わうことが必要です。

 

味わいたくないから無意識にスルーする、蓋をする訳なので・・・・・・ここに向き合うプロセスは最初はとてもしんどいかもしれません。

 

抵抗がものすごくあります・・・・・・だって嫌だから、感じたくないから避けて蓋を頑丈にして氣づかないふりをしているので。

 

ですが、傷ついたインナーチャイルドを抱えたアダルトチルドレンの人の場合、向き合うことを避けていては本当の意味で楽にはなりません・・・・・・。

 

逃げても逃げても・・・・・・ではないですが、形を変えて同じようなことが起こり続けることになります。

 

心の中がジャッジだらけなので、人生において無駄に障害が起こり、そのことを自分で受け取れなくて、ずっと被害者意識で生きるとか、加害者(周りの大人、親など)を恨んで生きるとか、鏡の相手に共依存するとか・・・・・・そういう不毛な心を抱えて生きることになりがちです。

 

だから、しんどくても一度、自分の中の傷ついてうずくまっている小さな子供と向き合って、しっかりお話してみる・・・・・・向き合ってみることが、実は一番の近道だったりするのです。

 

その時、本当に感じたかった感情を認めて受け入れると、自分ではわからない何かに縛られていたものが解放され、とても楽になります。

 

 

 

とはいえ、溜まっている感情エネルギーの解放って、生きている限り続くというか・・・・・・人生のプロセスは続いてゆくものです。

 

ここまでやったから終わり!っていうことがありません。

 

潜在意識はひとつしかなくすべて共有しているものなので、自分の溜めている感情エネルギーを解放しようとして掘り始めると、どこまでもディープな世界です。

 

ここで短距離走者的に猛ダッシュして取り組んでしまうと、息切れしてしまう・・・・・・再び閉じてしまうということになりがちです。

 

人生はこの肉体が朽ちるまで続きます。

 

同じように人生において体験のプロセスは生涯続くもので、ここで終わり!ということがありません。

 

なので、時に立ち止まってもいいけれど、長距離ランナーのような感覚で、ずっと自分自身と関わり合ってゆくことを念頭に置いておくことが必要です。

 

私という感覚において大きな障害となっている溜まっている感情エネルギーを解放すると、感覚に大きな変化があり、それは自分の人生をクリエイトする上でとても有効です。

 

なので、ついつい自分で次々に掘り出したい衝動・・・・・・早く氣づいて解脱したい!早く終わらせたい!みたいな氣持ちになることも多々ありますが・・・・・・人生のプロセスって終わりなんてなくて、これで終わり!ってことはまったくないのです。

 

生きている限り色々なことを体験し、その度に新たな氣づきを得る・・・・・・そういうものです。

 

しかし、人間ってどうしてもわかったと思いたい生き物というか・・・・・・頭でわかったと思いがちな生き物なのですね。

 

解放を急ぎ過ぎる必要はなくて、解放に必要なタイミングは必要な時に訪れるものなのです。

 

意識を解放に向けながらも、必要なことが必要な時に起こるのだという宇宙への信頼を感じながら、委ねてしまうのが一番スムーズな方法です。

 

忘れていると、内観にばかり意識が向かい過ぎて心が疲れてしまいます。

 

 

 

お家の溝がドブ川化していたら、お掃除することは必要ですが、そればかりに意識が向き過ぎると、テンションが下がりブルーになりますね。

 

お家の中のインテリアを整えたり、DIYしたり、お花を植えたり・・・・・・嬉しく感じること、楽しいことも同時に行うと、また溜まる溝のお掃除も綺麗になったら嬉しいし楽しいと感じることができます。

 

毎日毎日、溝の汚れの掃除ばかりでも、そこに喜びを見出せる人はそれでいいと思いますが、大抵の人は最初は張り切っていても、次第に心が疲弊してくるので・・・・・・。

 

確かに、内観して自分の心の癖に氣づいてゆく、潜在意識の性質を知ってよりクリアにして人生をクリエイトしてゆくために、これまで溜めてきた感情エネルギーのお掃除は必要です。

 

ですが、それと共に自分の人生を楽しむ、周りも自分もハッピーになる言動を心がけてゆくことも、同時に行ってゆくことで、より循環がよくなるということはあるかと思います。

 

 

 

意識のことについても、あまり解放にばかり意識が向いてしまうと、それもそれで段々と苦しくなってしまう人もいるので、氣をつけないといけないと思っています。

 

何というのか・・・・・・内観病とでもいうのか。

 

解放にフォーカスするあまり、そこにばかり意識が向いて、もっともっと何かあるはずだ・・・・・・と突き詰め過ぎてしまい、次第に心が疲弊する感じです。

 

真面目な人は、内観の大事さを知ると特にそうなりやすいかもしれません。

 

しかしそれは、今ここですべてにおいて必要なことが起こっていて、すべて与えられているという「今ここがすべて」「すべて必要なことが既に与えられている」という感覚の欠如です。

 

言い換えれば、自分の中に欠乏感、不足感があって、それを埋めるためにすべての行動が、選択が行われている・・・・・・ということになります。

 

意識をすると解放されやすくはなりますが、必要な時に必要な氣づきが訪れるようになっているので、あまり突き詰め過ぎないようにした方がよいかと思います。

 

「もっともっと」「まだまだ」って思う時、その根底にあるスタンスが、今の自分を肯定した上でさらなる成長を求めるものなのか、それとも欠乏感、不足感を埋めたいが故の感情なのかをよく観察して知る必要があります。

 

 

 

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溜まっている感情エネルギーの解放に何が必要なのかというと、ただシンプルに傷ついたこと、嫌だったこと、辛かったこと、苦しかったこと、本当は愛して欲しかったことを認めるだけです。

 

とてもシンプルなことのように思いますが、認めたくないからずっと隠そうとし続けてきた訳なので、立ち向かうには少し勇氣を出す必要があります。

 

愛されていないと感じることを認めたくないから、受け入れたくないから、自分の心に色々な言い訳をして、傷つくことを封印しています。

 

愛されたいと願う、愛されていないと感じる・・・・・・

 

とても大きな視点からすれば、どの様な状況も究極的には自分が選択してきていますし、すべてが愛なのですが・・・・・・状況が状況であれば、その様に思えなくて、葛藤、苦悩が人生につきまといますね。

 

ひどい状況を選んで生まれてきている人ほど、生まれる前のことをすべてを忘れてしまった幼ない私たちが、その状況をすべて愛だと受け取ることはとても難しいことです。

 

そして、自分の心を守ろうとする自動的なシステムとして、自分の心をの声を聴くことを止めてしまいます。

 

さらには周りから求められる自分を演じるようになるのです・・・・・・。

 

 

 

求められる自分像を演じ、必要とされることによってのみ自分の存在の価値を感じることができてきた人は、求められる、必要とされるであろうことを自分の意思関係なく役割として引き受けるのをひとまず止めてみることが必要です。

 

「こうしなければならない」と思っていて、その思考に縛られている行動を意識的に止めてみるのです。

 

もちろん、止めようとすると、心の中でものすごい抵抗感があると思います。

 

そうしなければ自分は愛されない、必要とされることでしか自分は存在価値が無いと思い込んでいて、そうしなければ自分の存在する意味がないと思っている訳なので。

 

認められたい、愛されたいというニーズに基づく行動を止めるためには勇氣が必要です。

 

一番最初はとてつもなく勇氣を振り絞らないとできないかもしれません。

 

最初、たくさん荷物が載った台車を動かす時、動くまでにはとても力が必要ですが、一旦動き始めると最初にかかった力よりはかなり楽~に動いてゆきます。

 

それと同じように、最初、いい顔をするために何でも引き受けている場合、それを断るのってものすごい勇氣が要りますが、一度かなりの勇氣を出してできたら、次からはかなりハードルが下がります。

 

一番最初はともかく心理的抵抗がとても激しいので、それだけ動かすのに力が必要だということを覚えておくと、抵抗しても当たり前なのだと、そういう状況も受け入れることがしやすいと思います。

 

 

 

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潜在意識の中に溜まっている感情エネルギーが解放に向かうと、それまでは見えにくかった周りとのつながり、リレーションシップにより私たちは生かされているということが見えてきます。

 

私たちは個別に肉体を持っていて、それぞれの観点で人生を体験していますが、自分ひとりでは何も体験をすることはできません。

 

私たちはマインドの働きが優位な時、分離している感覚・・・・・・分離感をとても感じていて、孤独だと、自分はひとりだと感じます。

 

しかし、本来私たちは離れてはいなくて、本質的にはつながっています。

 

言葉で説明するのはとても難しく感じるのですが・・・・・・この世界は自分だけで存在することなどできません・・・・・・。 

 

内的な自分を多角的に知るためには、外側で人と関わってゆくことが必要です。

 

私たちはひとつのパーソナリティで生きていると思っていますが、実際には内面にたくさんのパーソナリティが存在し、状況によってそれがコロコロと入れ替わっています。

 

そして、そういう自分のことを知るためには、外側の人・・・・・・外側のたくさんのパーソナリティに触れることがとても有効なのです。

 

人は人の中でしか磨かれません。

 

自分ひとりで考えることは、どこまでいっても自分の想定の中でしかありません。

 

多くのパーソナリティに触れることで、自分の内側のたくさんのパーソナリティ・・・・・・自分自身でも知らなかった一面、氣づかなかったことに氣づかされてゆくのです。

 

 

 

自分のこれまでの交友関係を考えると、とても閉じた狭い世界に生きていた様に思います。

 

人には個性がありますから、とてもたくさんの人と触れ合いながら生きてゆく人もいれば、少し狭めの人間関係の中で密な触れ合いの中で生きる人もいます。

 

どちらがよくて、どちらが悪いということはありません。

 

しかし、私に今、ラジオでパーソナリティとして人のお話をお伺いする機会が訪れているのは、きっと今まで出逢わなかった業種や同業でもこれまで知らなかったたくさんの人ともっともっと触れ合いなさい♪♪♪っていうディバイン(聖なる存在)からのエールなのかな、と思います。

 

 

 

どこまでも話が続きそうなので、この話はこの辺りで一旦置きますね。

 

 

 

 潜在意識の自動的な働き

 ~Fin~

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとお休みして・・・・・・

 

 

どうして潜在意識のことを書き始めたのか・・・・・・

 

それは自分に言い聞かせるためかもしれません。

 

 

 

今、自分自身にとても驚くようなことが起こっていて・・・・・・

 

それは一般的な見方からすれば悪いこと・・・・・・

 

とてもネガティブな出来事だから。

 

人のことを信じられなくなるようなことかもしれません。

 

 

 

それでも相手を赦すこと・・・・・・

 

相手の行為ではなく自分の心を見つめること。

 

自分の決断の甘さや考えの足りなさを見つめ、

 

そしてよりフラットに事実を見つめることを

 

書きながら心に沁み込ませている感じです。

 

 

 

ともかく今、たくさんのことが動いていて、

 

それをどう整理すればいいのか・・・・・・

 

自分たちでもちょっと困惑しています。

 

 

 

私・・・・・・どうなるんだろう???

 

それは誰にもわからないことですね。

 

 

 

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在意識の自動的な働き4

 

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他者の価値判断をベースに生きていることは、真に生きているとはいえないのかもしれません。

 

なぜなら、過度に他者の価値判断の刷り込みによって自分が本当に感じていることを感じることを封じている状態では、自分の心はどこか虚ろで死んでしまっているようなものだからです。

 

自分の思いをしっかりと感じることよりも、「こうあるべき」「こうするべき」を優先させている・・・・・・無意識に主導権を刷り込まれた価値判断に渡してしまって縛られている様な状態なので、蔑ろにされ続けるハートはとてもいたたまれなく苦しい。

 

けれど、それを無意識で行っているのですから、どうして自分が苦しくて、生き辛いのかがわからない訳で・・・・・・。

 

何となくモヤモヤしていて、そのモヤモヤを解消したいと思っていても、顕在意識で認識していない領域・・・・・・潜在意識の領域にある自分の今の状態を写し出している原因を見つけることはなかなか難しいのです。

 

 

 

実際、私はそういう感じでした。

 

 

 

性格的に母はとてもいい人でした。

 

父が、「世の中の人が皆お前みたいな考え方だったら世界は平和だけど、そういう人ばかりではない」と話していたのを覚えています。

 

しかしその反面、性格的に超押しが強く、自分の考える美しい理想を基に、あらゆることをジャッジし、自分の正義に沿わない人を心の中で裁く、ジャッジバリバリの人でした。

 

考えはとても筋が通っているのですが、自分の持つ美しい理想の正しさの価値観から外れる人をどうしても許すことができないので、心の中はいつも葛藤だらけだったと思います。

 

そういう正義感の強い押しの強い母に育てられた私は、「こうあるべき」「こうするべき」に最初は反発していました。

 

しかし子供という立場上、私は自分の意見よりもどうしても親の・・・・・・母の「こうあるべき」「こうするべき」という意見を優先させざるを得ませんでした。

 

子供の頃から母が病氣になるまでの間、ほぼすべての人生の重要な選択において、自分の思いの反映されない選択を強いられ続けた私は、自分の選択を信じることができない人間になってゆきました。

 

そして、大人になっても自分が一体何のために生きているのかが本当にわかりませんでした。

 

 

 

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子供の頃に価値判断を常に押し付けられた人は、大人になってからアダルトチルドレンになる確率がとても高くなります。

 

◆参考◆

アダルトチルドレン - Wikipedia

 

 

 

子供の頃からの価値判断の押し付けにより定着してしまっている条件付け・・・・・・ジャッジを無意識に行っていることにより、心の中に葛藤が常に生じます。

 

ですが、それは無意識に行っていることなので、どうして自分がモヤモヤしているのか?イライラしているのか?その原因は自分ではなかなかわかりません。

 

そういった無意識の思考パターンが、無意識であるが故に人の心を大きく蝕んでゆくのですが、何せ無意識に自動的にやっていることですので、なかなか氣づきにくいのです。

 

なので、まずは自分の心の内面を少し客観的に見つめることが大切になってきます。

 

感情に振り回されないで、少し冷静に感情を見つめる・・・・・・という感じです。

 

まずは自分の心の働きに意識的になり、ジャッジをしていることに氣づく(意識的になる)ことが必要なのです。

 

なぜなら、ジャッジをしていることに氣づかなければ、それを止めることはできないからです。

 

どんな思いも感じることは本当は悪いことではありません。

 

というか、感じるという反応はとても自動的はものなので、自分自身でコントロールすることはできません。

 

考えって自分で考えていると思っている人もいるかもしれませんが、観察してゆくと自分で考えているのではなく、その状況、自分の心理状態、波動状態によって反応として表れてくる極めて自動的な反応だということがわかります。

 

ですが、人によっては悪感情を感じることに対して罪悪感を感じ、それをコントロールしよう、封じ込めようとする人がいます。

 

元来、湧き上がる感情は反応なので、実際はそれをコントロールしたり思考を止めることは不可能です。

 

親や育った社会からの強い価値判断の押し付け・・・・・・「こうあるべき」「こうするべき」という“ベキベキ”を押し付け続けられると、自分の感じることを無意識に封じ込める様になるのです。

 

「こうあるべき」「こうするべき」という価値判断、思考の枠の刷り込みによって、自分の感じることをしっかりと感じて自分軸で物事を決めるのではなく、刷り込まれた価値判断・・・・・・他人軸で物事を決める様になるのです。

 

自己犠牲、滅私奉公・・・・・・

 

自分が本当にそうしたくてしているのではなく、そうしなければならないという義務感や、それが正しいことだとする正義感で動くのが当たり前の感覚になり、それ以外の選択が選べなくなってしまうのです。

 

 

 

これはいいこと、これは悪いこと・・・・・・というように無意識にジャッジをする習慣が定着している人は、自分の感じる感情に対してジャッジをします。

 

よいことを感じるのはいいけれど、悪いことを感じる自分は駄目な奴だ・・・・・・悪だ・・・・・・として、悪感情を感じることに罪悪感を覚えて、感じること自体を封じ込めようとします。

 

いいことも悪いことも、どちらも自分の感じることなので、感じることは何も悪いことではありません。

 

それがたとえ悪感情であってもです。

 

いい感情も悪い感情もすべて持っているのが人間です。

 

悪感情を感じたとしても、それは自分の今の意識の状態を教えてくれるセンサーみたいなものなのです。

 

人間の習い性として、今の自分自身をそのまま受け入れるのではなく、少しでも素晴らしい完璧な人間になりたいという思いがあり、その理想に近づくためにあってはならないであろう悪感情を無意識に排除しようとするのです。

 

しかし・・・・・・どちらの感情も自分のものですし、感情が起こるのは極めて自動的な反応なので、それを排除することはできないのです。

 

それなのに心の中でジャッジを行い、無意識に悪感情を感じることを封じ込めてしまいます。

 

感情はエネルギーです。

 

いいことも悪いこともしっかりと感じ切れば、そこでエネルギーは昇華されます。

 

しかし、嫌われて邪魔者にされて無意識に封じ込められてしまった悪感情のエネルギーは、昇華されることなく未消化のまま溜まり続けてしまいます。

 

自分では溜めているという自覚はなくても、エネルギーは心の奥底で溜り続けていて、無自覚のまま自分の人生に大きく影響を及ぼすのです。

 

 

 

感情エネルギーは私たちが認識している顕在意識ではなく、潜在意識領域に溜まり続けます。

 

そして、大人になって、もう過去のことだから・・・・・・と、起こった事象については概ね忘れていたり赦していたとしても、体験されなかった感情エネルギー自体は残っているのです。

 

残ったままの状態だと、私たちの現実創造に影響し続けます。

 

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在意識の自動的な働き3

 

 

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私たちは無意識にジャッジしていると言いました。

 

 

 

この世界で起こっていることは、ただその現象が起こっている事実があるだけです。

 

事実はただひとつというか・・・・・・それしかありません。

 

私たち人間はその物事を見た時に、それぞれの価値観によって様々な見解を心の中で述べます。

 

それは、人の数だけ違います。

 

人間は無意識に自分の中の価値判断で物事を評価しています。

 

心の中で善い悪いの判断をしていて、ジャッジをしているのです。

 

無意識にあれはいい、あれは悪い・・・・・・と心の中でジャッジしていて、それが無意識なものだから、自分がどれ程、心の中で自分自身のこと、他人のことを批判し評価しているかを知りません。

 

ジャッジっていうのは、常識的に考えたらそれはないでしょう?とか、普通はこうしますよね?っていう感じで、自分が考える常識の枠という名のフィルターを通して起こる現象を見て判断している状態ですね。

 

それはまるでそれぞれが違う色の色つきサングラスをかけている様なものです。

 

価値判断を行っている前提条件・・・・・・サングラスのレンズの色がそもそも違う状態で「あれは赤だ!」「いや、青だろ?」「いいえ、黄色よ!」と言い合っている様なものです。

 

それは、物事をありのままに見ているのではなくて、自分の価値観というフィルターを通して物事を見ている状態です。

 

 

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常識では・・・・・・とか、普通は・・・・・・ってよく使うフレーズなのですが、常識とか普通って、その地域や国によってまったく違うものです。

 

自分の狭い世界の常識って、他では非常識なことってたくさんあります。

 

ましてや海外と比べたら、日本の常識は海外の非常識・・・・・・ってこともたくさんあります。

 

つまり、常識とか普通って、共通している部分もあるけれどそうではない部分もたくさんあるということです。

 

常識とか普通っていう概念って、社会を円滑に成り立たせるために作られたルールであり、本来は縛られるためのものではなく、自分たちがスムーズに生きやすくなる様に作られたものなのですが。

 

今、人間は「こうしなければならない」とするルールに縛られてしまっている状態なのです。

 

それは、マインドと私たちの関係と似ています。

 

本来はマインド(頭の思考)は私たちが生きるために働くマシンであるはずでした。

 

魂の声・・・・・・ハートの声が本当の自分の声で、マインドは上手く使えば便利なマシンなのですが、マインドの声に翻弄されてばかりいると、ハートの声が聴けなくなってしまいます。

 

幼少の頃からマインド主導で生きていれば、それが当たり前の状態になるので、ハートの声を聴くということ自体、理解ができないということもあります。

 

今は、本来はマシンとして働くはずのマインドに無意識に主導権を握られてしまっている状態で生きている様なものなのです。

 

 

 

世界観が広い人は、常識というのがいかに曖昧な概念なのかを知っています。

 

私たちは常識とか普通というと、それは万人に共通した概念だと思っている部分があります。

 

しかし、もし本当にそうなら、人との間に価値観の相違による人間関係の悪化など起こり得ないのです。

 

血縁関係、環境、宗教的なつながりの中ではある程度共通した認識はあります。

 

しかし、育った環境によって同じ国の人同士でも価値観がまったく違うこともあります。

 

どの価値観が正当でどれが間違っているということは本当はありませんが、人間はすべてにおいて正しい!正しくない!という争い・・・・・・小さな戦争を常に心の中で行っているのです。

 

 

 

常識とか普通って概念でしかなくて、確たるものって本当は何もないのです。

 

けれども、人は自分の頭の中にある常識や普通にとかく縛られがちです。

 

常識的にはどうなんだろう???と常識から外れることを極端に怖れて外側の人のことばかりに意識を向けていると、自分の本当の心はどんどん見えなくなってゆきます。

 

常識とか普通っていう通念的なことって、実は意外と曖昧だったり、共通している部分もあるけれどまったく違っている部分もあったりします。

 

そういうことに氣づいてくると、世間では・・・・・・普通は・・・・・・という非常に曖昧な概念に絡め取られ、縛られている自分にも氣づいてゆきます。

 

それぞれの人がそれぞれに親や社会によって作られたルールに無意識に縛られて生きていて、どこかで閉塞感や息苦しさを感じていて・・・・・・。

 

だから、一生懸命守っているそのルールから外れる行為、行動をする人、そういう枠を感じずに自由に生きている人を見ると、自分の枠の正しさを脅かされる感覚になります。

 

なので・・・・・・そういう人を咎めたり批判したくなります。

 

本当は、その枠で生きていることが息苦しいのだけど、それでも自分は常識を、普通という感覚から逃れられないから・・・・・・自分が逃れられない(と思い込んでいる)枠を飛び越えて行動する人のことが腹立たしく、見ていてイライラしたりするのです。

 

 

 

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事実はただ事実として在るだけ。

 

ですが、そこに様々な条件付け・・・・・・ジャッジするのは私たちです。

 

私たちは潜在意識に刷り込まれている様々な概念の目に見えない枠に囚われている囚人のようなものなのです。

 

ジャッジをすることが悪いということではありません。

 

ジャッジをしていることに氣づいている状態であれば、それは大きな問題とはなりません。

 

しかし、氣づいていない状態で心の中でジャッジメントを繰り返してゆくことが、私たちの心を大きく蝕んでゆくのです。

 

だから、実は自分がそういう目に見えない枠に囚われていることに氣づくことがまずは大切で、その枠から自由になってゆくことが大切なのです・・・・・・。

 

まずは自分自身が囚われていることに氣づかなければ、そこから離れることはできないのです。

 

 

 

ジャッジする価値観は、両親や生育環境の中で育まれるものです。

 

そしてそれは、その血族の中、地域社会の中、何らかのグループの中で受け継がれ、持ち越されてきたものです。

 

私たちは、誰もが両親や周りの大人たちの価値判断の刷り込みを受けていて、自分自身を生きているようでいて、実は自分自身の心を蔑ろにして生きているということです。

 

価値判断の刷り込みの影響をあまり受けないで、自分自身を信じて生きている人も中にはいらっしゃいます。

 

また、生育環境的に非常に恵まれていて、価値判断の刷り込みが非常に穏やかというか、強制的でない、本人の選択を尊重してくれる環境に育つ幸運な人もいるでしょう。

 

しかし、子とものためを思って為される教育という名の下に、強力な価値判断の刷り込みをされてしまい、自分自身の考えることや感じることを信じることができないまま大人になる人もたくさんいるのです。

 

だけど大人になれば自分の意思もしっかりとあるのだから、親に言われたこと、刷り込まれたことにそこまで影響されるものではないのでは???と思う人もいるでしょう。

 

けれど現実は、ほとんどの人が親や世間の常識や価値判断をそのまま引き継いで、その受け継いだ常識や価値判断に則って無意識に生きています。

 

または、その刷り込まれた常識や価値判断と自分自身の心の声との間で悩み葛藤しながら生きています。

 

それはまるで、自分にサイズの合わない靴を履かされ続けるようなもので、本当はとても歩きにくく心地のよいものではありません。

 

靴ならば、自分に合わないものを履いているとわかります。

 

しかし、価値観や常識は見えないものなので、自分ではなかなか他人の価値観で生きていることがわかりにくく、実際にとても窮屈な思いをしていたとしても、どうして自分が苦しいのかがとてもわかりにくいのです。

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

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潜在意識の自動的な働き2

 

 

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潜在意識は主語を理解できないので、私たちが自分のことを話していても、誰かのことを話していても、その区別がつきません。

 

もし、誰かのことを悪く言っていたとしても、潜在意識はその●●さんという部分はすっ飛ばしてしまい、内容を受け取っています。

 

つまり、自分としては誰かの悪口やネガティブなことを話しているつもりだったとしても、潜在意識はそうは受け取りません。

 

「あいつは馬鹿でのろまで人間として最低だ!」

 

と誰かのことを言っていたとしたら、「馬鹿でのろまで人間として最低」って潜在意識に刷り込んでいるってことで・・・・・・。

 

「あいつは」っていう主語の部分は省かれて、「馬鹿でのろまで人間として最低」っていうネガティブな部分だけがフィードバックされるのです。

 

だから、誰かの愚痴や悪口ばかりしか口にしなければ、誰かのことを言っているつもりですが、自分にそれを刷り込んでいるのと同じことです。

 

 

 

昔、会社での待遇に対して納得のいかないことがたくさんあり、愚痴を零していた時がありました。

 

会社や待遇の差に不満のあった人に対しての愚痴ばかりを同じグループの人と話していました。

 

すると・・・・・・そうやって、ネガティブな話ばかりしていると、自分自身の氣持ちがとても落ちてゆき、すべてのことをポジティブに受け取れなくなってゆきました。

 

そういうことを繰り返していると、そのネガティブフィードバックのループから抜け出すことができなくなり、益々落ちてゆく・・・・・・悪循環でした。

 

 

 

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ある時、これでは駄目だとふと氣づき、そのネガティブフィードバックばかりのグループから意識的に離れました。

 

そして、無理にポジティブに考えるという訳ではありませんが、物事のネガティブな側面ばかりを見るのではなく、なるべく素晴らしい側面にフォーカスするようにしてゆきました。

 

そして、今の自分にできることを精一杯やってみて、自分の意見をちゃんと伝えてみようと思いました。

 

 

 

そうして意識を向ける方向を意識的に変えてみると、意識状態が落ちることが少なくなってきました。

 

離れてみてわかったのですが、そのグループにいるとその落ちた状態・・・・・・ネガティブな意識状態を維持しようとする力が働いて、前向きな意見を話すことがなかなかできなかったのです。

 

波動同調の法則・・・・・・そういう波動の人たちと一緒にいると、どうしても思考もそちらに引き寄せられやすくなるのです。

 

ですが、同じ様な考えだと思っていた人が、自分たちの考えと違う方向に進もうとすると、そのグループの人たちには悪氣はなかったとしても、その変化を阻止しようとする力が無意識に働きます。

 

その頃は、まだまだ自分自身が周りに影響されやすい状態だったということもあるので、一緒にいる時間を断絶することが私には最も近道でした。

 

 

 

グループの人と物理的に離れて愚痴を言わなくなると、精神的に落ちることが少なくなり、心が穏やかに晴れやかになるのを感じました。

 

環境ってとても大切です。

 

自分ではネガティブな思考を止めようと思っていたとしても、そのグループとの縁が切れていなければ、ズルズルとグループの空氣に引きずられて愚痴を言い続けていたのではないかと思います。

 

人間はどうしても元の習慣に引っ張られやすいし、環境の影響を受けやすいからです。

 

 

 

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新しい習慣がしっかりと身につき定着したら、現状を維持する力は新しく習慣化した現状を維持しようとします。

 

ですから、新たな心の習慣がしっかりと根付くまでは、古い習慣のグループとの関わりを切る、もしくは関わりをなるべく必要最小限にとどめてゆくことが必要かなと思います。

 

 

 

人の悪口を言うことも、自分に対する悪態をつくことも、実は潜在意識的には同じことです。

 

どちらにしてもそれは自分自身のことをそういう人間だとインプットし続けているようなものなのです。

 

逆にポジティブフィードバックを受け続けたり、自分自身で自分のことを褒め続けると、それが潜在意識にインプットされ続ける訳です。

 

だから、すべてにおいて人のネガティブな側面にフォーカスして指摘するよりも、ポジティブな側面にフォーカスして、人の善い部分を見つける意識でいると、自分も周りもハッピーになってゆくのです。

 

だからといって、ポジティブなことしか見ないということではありません。

 

ポジティブなことネガティブなことの両面を見た上で、伝える必要のあることは伝える。

 

だけど最終的にはその人のことを愛している、ポジティブな視点であなたのことを見ていますよということが相手に伝われば、そこにはハッピーの連鎖が起こるのだと思います。

 

すべてのモノは見方によって長所にもなるし短所にもなり得るもの。

 

否定的に受け止めるのではなく、肯定的に受け止めて表現するように意識するようになると、あらゆる物事の表現が変わってきます。

 

 

 

潜在意識は主語が自分であっても他人であっても同じようにインプットします。

 

自分の悪態をつくことも、他人の悪口や愚痴を言うことも、それはすべて自分事としてインプットされることになりますから・・・・・・氣をつけてね。

 

これはどういうことかというと、心の中で自分のことも他人についてもジャッジをし続けていると、そのジャッジメントをしている信念に基づいて人生をクリエイトし続けているってことです。

 

人間って無意識的に色んなことに対してジャッジをしています。

 

それを無意識にやっているので・・・・・・無意識にしていることを意識的に見てゆく、氣づくってことがとっても大切なのですね。

 

それについては次に書きますね。

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

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潜在意識の自動的な働き1

 

潜在意識は私たちを現状のまま留めようとします。

 

だから、自分の基本ベースが貧乏なら貧乏を維持しようとしますし、お金持ちでしたらお金持ちであることを維持しようとします。

 

そこにいい悪いはまったくなく、それは単なる心の習慣・・・・・・習い性です。

 

ともかくマインドは急激な変化を好みません。

 

変化をしようとすると猛烈に反発し、何とか今のままでいよう・・・・・・現状を維持しようとするのです。

 

もちろん、頭では貧乏でいることがいいことな訳がない、一刻も早くお金持ちになって今の状況から抜け出したい!

 

顕在意識ではそう思う訳なのですが、潜在意識の領域では、いつもと変わらない状態・・・・・・つまり、貧乏な人は変わらず貧乏であること、お金持ちの人は変わらずお金持ちであることが”安心”な状態なのです。

 

潜在意識の領域には、ジャッジメントがありませんので、潜在意識の働きに無頓着であれば、今の状態から大きく変わらないで生きることを無意識に選択し・・・・・・現状を維持しようとし続けるのです。

 

それは、マインドが大きく変わらない状態であること、現状を維持してゆくことによって自己を保とうとする性質だからです。

 

潜在意識は大きく変容することを嫌う・・・・・・つまり、現状を維持し続けようとする性質があるということなのです。

 

私たちが顕在意識の領域でこうなりたいとか、こうしたいという願望があったとしても、潜在意識の領域での現状維持しようとする心のストッパーがかかったままなら、それはブレーキを踏んだままアクセルを踏んでいるようなものなのです。

 

大抵の人の人生が思うようにならない、思い通りにならないと感じるのは、ほとんどは潜在意識の現状を維持しようとする力が無意識に働いているから・・・・・・。

 

変わりたいと顕在意識では思うのに、大きく変わることは安心を手放してしまうと認識して現状維持しようとする潜在意識の働きがあるために、無意識に現状維持の作用が働くことで挫折してしまうことがほとんどという・・・・・・。

 

 

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本当は誰もが前向きに変わってゆきたいし、成長したいと願っています。

 

けれども、知らない間に心にブレーキがかかってしまうのは、潜在意識の領域で安心安全を確保するために、顕在意識で考える成長の方向に向かうことに対して無意識にブレーキを踏んで、現状を維持し続けようとする心の働きがあるからなのです。

 

どうしてそこまでして心のブレーキをかけようとするのか・・・・・・それは、自己を守ろうとする働きであり、現状を維持することが安心だとマインドが考えるからです。

 

決して成長させまいと意地悪をしている訳ではなくて、ちょっと・・・・・・いや、かなり怖がりなんですよね、潜在意識って。

 

何といってもベースが不安、怖れ・・・・・・だから。

 

だから、今までのままの方が安心なんだよ!危なくないよ!と、現状を維持するために無意識に働くのですが、それは”自分”という存在を維持するための心のシステムなのです。

 

だって、自分だと定義している所から大きくダイナミックに変わってしまうと、変わることって思っているみたいに怖いことではないんだとわかってしまうので。

 

な~んだ、怖くないんだ!変われるんだ!と氣づいてしまったら、本当は自分と定義している存在自体が概念でしかないことがばれてしまうから。

 

そうするとマインドは自分の居場所がどんどん狭められて無くなっていってしまうから、それはそれは必死で現状維持して居場所を死守しようとするのです。

 

 

 

そのことを知っていると、何か新たなチャレンジをしようとする時や、変わろうとしている時に感じる抵抗感の正体が見えてきます。

 

正体が見えていれば、無意識に振り回されることは少なくなります。

 

そして、その性質を知った上で、この現状維持システムが反発を招くことを最小限にしながら前へと進んで行くことが必要なのです。

 

そりゃ、ブレーキを踏んだままアクセルをいくら全開にして踏んでも、スムーズに進めないので・・・・・・・

 

ブレーキを踏んでいることに氣づいて、そのブレーキでストップしようとしている抵抗を緩めてゆく・・・・・・ブレーキを踏んだままの状態でアクセルを踏むのではなく、ブレーキを解除してからアクセルを踏むようにすることが必要なのです。

 

 

 

顕在意識と潜在意識の認識のズレというか、矛盾点がある場合、それを反発しあう形にしてしまうと、現状維持しようとする力と変化しようとする力がバラバラの方向に働く訳なので、どんなにがんばっても成果が一向に現れないので早々に挫折してしまいます。

 

なので、現状維持しようと抵抗する力を最小限にしてゆくことが必要となるのです。

 

潜在意識の抵抗、現状維持しようとする作用を少しでも穏やかにしてゆくためには、急激に新たな価値観にチェンジするのではなく、少しずつ慣らしてゆく必要があるということです。

 

つまりは、コツコツと実績を積み上げてゆくことですね。

 

そして、これまでの当たり前にゆっくりと上書きしてゆく・・・・・・ゆっくりとアップデートしてゆくことが必要となるのです。

 

人間は、新たな方向に目標を定めた時、その決めたことをしっかりと守りたい、どうしても遵守して完璧に物事を進めたいという氣持ちが働きます。

 

しかし、実際は、これまでそうでなかったことを習慣化してゆくのですから、最初から完璧にできることの方が珍しいのです。

 

なのに、人間は最初から完璧を求めて、すべてしっかりとできていなければならない・・・・・・と、自分自身に非常に厳しくする心が働きます。

 

この氣持ちが、顕在意識と潜在意識の矛盾点の強い反発を生んでしまいます。

 

そして、完璧にできなかった時に、挫折を感じた瞬間に、現状に引き戻そうとする力が強烈に働き、決めたことを反故にして元の状態に引き戻そうとするのです。

 

 

 

最初、新たに変化しようとする時は、新たなルールは習慣化していません。

 

定着ししっかりと習慣化するまでには少し時間が必要です。

 

なので、私たちが変化して行く時に必要となる心構えは、最初から完璧に行うことではなく、行動を定着させ習慣化することだという大前提を忘れないことです。

 

急激な変化により起こる潜在意識の安心安全を求める心の反発を最小限に留め、なだめながら少しずつ上書きしてゆく・・・・・・新しい状況や自分自身に少しずつ慣らしてゆくという考え方なのです。

 

 

 

最初、習慣化するまでに要する力というのは、重い台車を動かす時のようなもの。

 

重量のある台車の車輪が転がるまでには、とても大きな力が必要です。

 

一旦、動き始めたらそうでもありませんが、動き始めるまでの間は、相当力を込めないと動き出しません。

 

その時に要する力は、既に動き始めている台車を動かす労力の比ではありません。

 

なので、最初の一歩を踏み出す時には、一生懸命押しているはずなのに、まったく動かない・・・・・・そう感じることもあるかもしれません。

 

なので、最初に力を込め続けて車輪が動くまでは、とても大きな力が必要であることを認識している必要があります。

 

車輪が転がるようになり初速がつくようになれば、一番最初に必要とした程の力は必要ではなくなり、かなり楽に押せるようになるのです。

 

しかし、最初の時にそれほど力が必要だと認識していないことがほとんどなので、動く前に、習慣化する前に諦めてしまうのが私たち人間なのです。

 

慣性の法則で動き始めるまでゆっくりじっくりと動くまで力を込め続ける必要があること、それは自分の潜在意識に習慣化するために必要なプロセスなのだと認識していれば、初動にとても大きな力が必要で、習慣化するまでは諦めないで継続することがしやすくなるのです。

 

 

 

人は目標を掲げてそれを何とか完璧に達成しようとします。

 

たとえば、毎日食べていたおやつを食べないようにと決めたとします。

 

最初の1週間はがんばって食べないでいました。

 

ところが、友達が家に遊びにくることになり、お菓子などの間食は控えていることを伝えていたにもかかわらず、友達は大好きなケーキ屋さんの新作のケーキを持参してきました。

 

「今日だけ、1回ぐらい食べても大丈夫だよ!美味しいよ!」

 

・・・・・・ついつい食べてしまいました。

 

せっかく1週間我慢していたのに・・・・・・がっかりして罪悪感に苛まれ、挫折を感じ、我慢していることが馬鹿らしくなってしまいました。

 

ここまでせっかく1週間食べなかったのに・・・・・・ここで食べたことをきっかけに、また毎日何か間食のおやつを食べる生活に戻ってしまいました・・・・・・。

 

 

 

ここで、大体の人は「決めたことをできなかった自分」にフォーカスします。

 

そして、できない自分を責めたり、挫折を感じて、また再び元の習慣に戻ってゆくのです。

 

けれど、よく考えれば、毎日食べていたおやつを1週間・・・・・・7日間もの間食べないでこれたことは、たとえ8日目に1回食べてしまったとしても本当はすごいことです。

 

「8日間8回必ず食べていたおやつを、8日間で1回しか食べなかった!おやつの量が1/8に減った!」

 

と考えてみるとどうでしょう?

 

できなかったこともあるけれど、できたことにフォーカスして考えてみると、できなかったことにフォーカスするのとはまったく感覚が違っていることにお氣づきでしょうか。

 

「せっかく7日間止めていたのに、1回食べてしまった・・・・・・」

 

と考えるよりも、

 

「8日間で1回しかおやつを食べなかった!すごい!後1週間食べな日を続ければ、半月間に1回しかおやつを食べなかったことになる!」

 

と、できたこと、今から行うことフォーカスする方が建設的で決めたことを継続してゆくことも楽しく感じるのではないでしょうか。

 

習い性、生育環境も影響しているでしょうが、私たちはできたことよりもできなかったことに意識をフォーカスしがちなのです。

 

それは無意識のモノの見方なので、自分の認識について意識的になることが必要なのです。

 

自分のモノの見方がどちらなのか・・・・・・できないこと、不足している部分にフォーカスしているのか?それともできたこと、既に満ちていることにフォーカスするのか?

 

それは、自分のことを信じる・・・・・・自信を持つこと、自己信頼にもつながることです。

 

 

 

私たちの行動は、初動に最もパワーが必要で、その初動が軌道に乗り習慣になるまでいかにして継続するかが大切なことなのです。

 

なので、最初の習慣が定着化するまでの間は、まだ習慣化していないことを継続させるために大きなエネルギーが必要なのだと理解した上で、できなかったことにフォーカスして自分を責めたりするのではなく、できたこと、これからやることにフォーカスして習慣化するまで粘り強く継続することに意識を向けてみましょう。

 

 

 

 

 

 

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