潜在意識の自動的な働き4

 

 

 

 

lsm.hateblo.jp

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他者の価値判断をベースに生きていることは、真に生きているとはいえないのかもしれません。

 

なぜなら、過度に他者の価値判断の刷り込みによって自分が本当に感じていることを感じることを封じている状態では、自分の心はどこか虚ろで死んでしまっているようなものだからです。

 

自分の思いをしっかりと感じることよりも、「こうあるべき」「こうするべき」を優先させている・・・・・・無意識に主導権を刷り込まれた価値判断に渡してしまって縛られている様な状態なので、蔑ろにされ続けるハートはとてもいたたまれなく苦しい。

 

けれど、それを無意識で行っているのですから、どうして自分が苦しくて、生き辛いのかがわからない訳で・・・・・・。

 

何となくモヤモヤしていて、そのモヤモヤを解消したいと思っていても、顕在意識で認識していない領域・・・・・・潜在意識の領域にある自分の今の状態を写し出している原因を見つけることはなかなか難しいのです。

 

 

 

実際、私はそういう感じでした。

 

 

 

性格的に母はとてもいい人でした。

 

父が、「世の中の人が皆お前みたいな考え方だったら世界は平和だけど、そういう人ばかりではない」と話していたのを覚えています。

 

しかしその反面、性格的に超押しが強く、自分の考える美しい理想を基に、あらゆることをジャッジし、自分の正義に沿わない人を心の中で裁く、ジャッジバリバリの人でした。

 

考えはとても筋が通っているのですが、自分の持つ美しい理想の正しさの価値観から外れる人をどうしても許すことができないので、心の中はいつも葛藤だらけだったと思います。

 

そういう正義感の強い押しの強い母に育てられた私は、「こうあるべき」「こうするべき」に最初は反発していました。

 

しかし子供という立場上、私は自分の意見よりもどうしても親の・・・・・・母の「こうあるべき」「こうするべき」という意見を優先させざるを得ませんでした。

 

子供の頃から母が病氣になるまでの間、ほぼすべての人生の重要な選択において、自分の思いの反映されない選択を強いられ続けた私は、自分の選択を信じることができない人間になってゆきました。

 

そして、大人になっても自分が一体何のために生きているのかが本当にわかりませんでした。

 

 

 

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子供の頃に価値判断を常に押し付けられた人は、大人になってからアダルトチルドレンになる確率がとても高くなります。

 

◆参考◆

アダルトチルドレン - Wikipedia

 

 

 

子供の頃からの価値判断の押し付けにより定着してしまっている条件付け・・・・・・ジャッジを無意識に行っていることにより、心の中に葛藤が常に生じます。

 

ですが、それは無意識に行っていることなので、どうして自分がモヤモヤしているのか?イライラしているのか?その原因は自分ではなかなかわかりません。

 

そういった無意識の思考パターンが、無意識であるが故に人の心を大きく蝕んでゆくのですが、何せ無意識に自動的にやっていることですので、なかなか氣づきにくいのです。

 

なので、まずは自分の心の内面を少し客観的に見つめることが大切になってきます。

 

感情に振り回されないで、少し冷静に感情を見つめる・・・・・・という感じです。

 

まずは自分の心の働きに意識的になり、ジャッジをしていることに氣づく(意識的になる)ことが必要なのです。

 

なぜなら、ジャッジをしていることに氣づかなければ、それを止めることはできないからです。

 

どんな思いも感じることは本当は悪いことではありません。

 

というか、感じるという反応はとても自動的はものなので、自分自身でコントロールすることはできません。

 

考えって自分で考えていると思っている人もいるかもしれませんが、観察してゆくと自分で考えているのではなく、その状況、自分の心理状態、波動状態によって反応として表れてくる極めて自動的な反応だということがわかります。

 

ですが、人によっては悪感情を感じることに対して罪悪感を感じ、それをコントロールしよう、封じ込めようとする人がいます。

 

元来、湧き上がる感情は反応なので、実際はそれをコントロールしたり思考を止めることは不可能です。

 

親や育った社会からの強い価値判断の押し付け・・・・・・「こうあるべき」「こうするべき」という“ベキベキ”を押し付け続けられると、自分の感じることを無意識に封じ込める様になるのです。

 

「こうあるべき」「こうするべき」という価値判断、思考の枠の刷り込みによって、自分の感じることをしっかりと感じて自分軸で物事を決めるのではなく、刷り込まれた価値判断・・・・・・他人軸で物事を決める様になるのです。

 

自己犠牲、滅私奉公・・・・・・

 

自分が本当にそうしたくてしているのではなく、そうしなければならないという義務感や、それが正しいことだとする正義感で動くのが当たり前の感覚になり、それ以外の選択が選べなくなってしまうのです。

 

 

 

これはいいこと、これは悪いこと・・・・・・というように無意識にジャッジをする習慣が定着している人は、自分の感じる感情に対してジャッジをします。

 

よいことを感じるのはいいけれど、悪いことを感じる自分は駄目な奴だ・・・・・・悪だ・・・・・・として、悪感情を感じることに罪悪感を覚えて、感じること自体を封じ込めようとします。

 

いいことも悪いことも、どちらも自分の感じることなので、感じることは何も悪いことではありません。

 

それがたとえ悪感情であってもです。

 

いい感情も悪い感情もすべて持っているのが人間です。

 

悪感情を感じたとしても、それは自分の今の意識の状態を教えてくれるセンサーみたいなものなのです。

 

人間の習い性として、今の自分自身をそのまま受け入れるのではなく、少しでも素晴らしい完璧な人間になりたいという思いがあり、その理想に近づくためにあってはならないであろう悪感情を無意識に排除しようとするのです。

 

しかし・・・・・・どちらの感情も自分のものですし、感情が起こるのは極めて自動的な反応なので、それを排除することはできないのです。

 

それなのに心の中でジャッジを行い、無意識に悪感情を感じることを封じ込めてしまいます。

 

感情はエネルギーです。

 

いいことも悪いこともしっかりと感じ切れば、そこでエネルギーは昇華されます。

 

しかし、嫌われて邪魔者にされて無意識に封じ込められてしまった悪感情のエネルギーは、昇華されることなく未消化のまま溜まり続けてしまいます。

 

自分では溜めているという自覚はなくても、エネルギーは心の奥底で溜り続けていて、無自覚のまま自分の人生に大きく影響を及ぼすのです。

 

 

 

感情エネルギーは私たちが認識している顕在意識ではなく、潜在意識領域に溜まり続けます。

 

そして、大人になって、もう過去のことだから・・・・・・と、起こった事象については概ね忘れていたり赦していたとしても、体験されなかった感情エネルギー自体は残っているのです。

 

残ったままの状態だと、私たちの現実創造に影響し続けます。

 

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)