守るものがなくなった時、境界線が消失してゆく・・・・・・

 

 

 

 

昨日の記事

 

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自分が思っていたより反響が大きかったので、驚きましたが~~~嬉しかったです♪♪♪

 

 

 

お読みくださり、ありがとうございました*:ஐ(●˘͈ ᵕ˘͈)人(˘͈ᵕ ˘͈●)ஐ:*

 

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参照元http://illust-kuma.com/kumaimg/kumapeko1.png

 

 

 

ずっと思っていることではありましたが、改めて形に・・・・・・文章にしてみて、自分自身にとってもとてもよかったです。

 

 文章だけをご覧になるのと、私たちのことを実際にご存知でご覧になるのとでは、受ける印象もかなり違ったものとなるのではないかな・・・・・・とも思いますが(*^〇^*)

 

 

 

旦那さんと私、年齢が7つ違います。

 

旦那さんが7つ年上ね。

 

普通だったら、7つも年上の旦那さんだったら、自分が守ってもらいたいと思うのではないかと思います。

 

ですが私の場合、結婚すると決めた時、私も大抵お人よしなのに、それに輪をかけてお人よしで人に尽くすこの人を、あらゆるものから守ってあげたい・・・・・・いや、守ろう!と決意したのでした。

 

 

 

今になって思えば、鏡としての投影で、自分の内面の非常にデリケートな部分を隠して守ろうとしていたのだな・・・・・・戦っていたのだな・・・・・と思います。

 

結婚生活を過ごす中で、生活が激変してゆき、様々な形で自分を見つめることとなりまして、本当にひとつひとつ薄いヴェールを脱ぐようにして、自分を・・・・・・セルフの感覚を守ろうとする心の働きを意識化してゆきました。

 

その中で氣づいたことは、旦那さんを信じることは自分を信じることだったな・・・・・・ってことです。

 

旦那さんのお蔭で自己信頼が育ってきた私ですが、最初は旦那さんを心底信じる心・・・・・・ハートの声と、時折顔を出す本当に信じていいのか?と思う心・・・・・・マインドの声と両方ありました。

 

最初の決意『旦那さんを私が守る!』というのは、やっぱりどこかで私の中で、この人の役に立たなければ、役立つ人材でなければ愛されないという思い込みを反映していたのだな、と思います。

 

 

 

子供の頃の自分が構築した思い込みは、『親の、周りの人の役に立たなければ、自分に存在している価値がない』というものでした。

 

ですから、自分の価値を少しでも高めて、周りに認められなければならないし、何でもしっかりとこなして、頼れる人材であり続ける必要がありました。

 

本当はしっかりとした人間などではなくて、いい加減で面倒なことは嫌だし、頑張ることだって好きではないのに、強迫観念のように人の役に立つ必要を勝手に感じて、頑張って・・・・・・

 

でも、それを当たり前のように思われて、それが苦しくて・・・・・・みたいなことを繰り返していました。

 

 

 

かつての友人が私に向けて言った言葉

 

『○○ちゃんは自分で何でもできるからいいやん。羨ましいよ。私は何もできないから・・・・・・』

 

この言葉に、当時の私はとても憤りを感じました。

 

だって・・・・・・『何でもできる』のではなくて、『何でもやらないと仕方ないからやっている』というのが本当で。

 

長女として中学生位から母のメンタルをも引き受けて早く大人にならざるを得なくて、しっかりとした人、頼れる人を努力で構築してきたんです・・・・・・それこそ必死で。

 

本当にそういう質を持っている人ならば、それはたやすいことかもしれませんが、私は本当はそういう質の人間ではありませんでしたから、そういう自己像を保つために、それはそれは努力と忍耐の日々だった訳です・・・・・・。

 

だから、そう見られるために無意識的にすごく努力して頑張っていたのに、友人にそう言われた時に、ものすごく腹が立ったんです。

 

『私だってやりたくてやっている訳ではないのに・・・・・・できないって言えないから必死に頑張っているんだよ!』

 

その時、その友人にそういう思いを告げはしませんでしたが、友人のその一言がきっかけで、あぁ・・・・・・自分は無意識にとても無理をしていたんだな・・・・・・それが本当は苦しいんだな・・・・・・と氣づいたのです。

 

それまでは、そんなことに氣づくこともなかったのに・・・・・・見せていただいたのだなと思います。

 

 

 

それ以外でも、やっぱり自分の中で不自然な自己像を保持するために努力してそうしているから、他の人に対してもとても厳しかったと思います。

 

特に、努力をしようともせずに、できないとか無理・・・・・・と言う人とか、リタイアしても誰かがフォローしてくれるという、ある意味恵まれた環境にある人に対してとても厳しい見方をしていました。

 

だって、自分は誰も助けてくれない(と思い込んでいる)から、自分で頑張らないといけない・・・・・・助けて貰おうなんて考えてはいけないんだ・・・・・・ずっとそう思い続けてきたのだから。

 

誰にも頼れない・・・・・・その思いは想像以上に自分を蝕みます。 

 

 

母が難病になり、母との関係性の中で様々な感情のチャージ(感じ切らずに残っている感情エネルギー)の解放が起こり、誰にも頼れないという思いは和らいではいました。

 

母が亡くなる前にはすべてと一体となる感覚を体験したり、イティハーサという漫画との不思議な出逢いがあったりして、結局すべては離れていないひとつなんだな・・・・・・という感覚の変容が起こりました。

 

その時まで、目に見えない世界のことは、あるだろうけど自分には関係のない話だと思っていたのですが、次第にそういうチャネルが開いてゆきました。

 

 

 

旦那さんと出逢って、旦那さんがどんな私でも、しっかりしていなくても、甘えん坊でも、どんな私でもそのままを受け止めてくれるようになって、ようやく子供の頃からのしっかりとしなければ・・・・・・の思い込みが解けてゆきました。

 

私のそれまでの生き方は、自分の感性の部分を抹殺しているような生き方でした。

 

心でいくら色々感じていても、それを頭の考え・・・・・・マインドの理性ですべて封じ込め続けてきました。

 

それが、旦那さんと出逢うまでの流れも感性を開く方向ではありましたが、旦那さんと出逢い、共に生きるようになってから、旦那さんのマザーアースのような包容力(本当に男性なのに母性がすごいの!)に包まれて、癒されて、ゆっくりゆっくりと解けてきました。

 

頭で色々なことをわかっているという状態から、実際の感覚、体感で腑に落ちてゆく体験をたくさんしてきました。

 

 

 

旦那さんと一緒に暮らすようになって、メンタルが安定し、より意識が自分の内面に向かうようになってきて、本来持っていたものが現われてきたんだなって。

 

ずっと、自分がそういう何かを感じても、そのことを信じることができなかったので、どなたかに『あなたは自分の感覚、受け取っていることを信じるだけです』って言われたことがありました。

 

今なら本当にそうだな・・・・・・って思います。

 

でも、当時の私は、それは(頭では)わかるけど、どうしたら信頼することができるの???って真剣に思っていましたけどね~~~^^

 

 

 

私がどういった状況においてもこうして心穏やかに過ごせるのは、旦那さんと過ごした日々のお蔭です。

 

かつて、旦那さんを守ってあげなければ!と真剣に思っていた私は、今、旦那さんに委ねて任せることを体験中です。

 

私、こんなに何もできなくてもいいんだな・・・・・・それで全然大丈夫なんだな・・・・・・って、そう思うことが、昔ならとっても怖かったし、絶対に無理だったと思うのですが。

 

旦那さんへのサレンダー・・・・・・意識の上での委ねと、聖なる存在へのサレンダー・・・・・・意識の上での委ねは、私の中ではとてもリンクしています。

 

旦那さんに心から委ねることができるようになればなるほど、聖なる存在の伝えるメッセージをより深く信頼できるようになっていった・・・・・・そんな感じです。

 

これが妥当な表現なのかどうかはわかりませんが、旦那さんは私にとってハートの扉を開く鍵のような存在で、色んな思い込みを打ち壊していってくれました。

 

私自身もそういう方向に向かうように心がけていたことは確かにあります。

 

しかしそれ以上に、旦那さんがここぞという時には背中を押し続けてくれたので、今の私があります。

 

 

 

出逢ってからもうすぐ12年、結婚してから11年半余りになりますが、お互いにそれまで社会生活を送る中で封じ込めていたものを解放し続けてきました。

 

私に出逢った人が私のことを『とても自然体な人』という印象を持ってくださることが多いのですが、 それは心を解き放った状態で、どんな自分もそのままにありのままに受け入れあえるパートナーの存在のお蔭です。

 

人生のテーマにおいて、パートナーを必要としない人もたくさんいらっしゃると思います。

 

しかし、私の場合には、自分の弱さを受け入れて大いなる存在にすべてを委ねてゆくという流れの中で、パートナーの存在は不可欠だったのです。

 

私はずっと長い間、自分の弱さを認めることができませんでした。

 

けれど、弱くてみっともない自分も、どんな自分もすべてを受け止めてくれた旦那さんがいたから、ありのままの自分でいいんだな・・・・・・と感じ、氣づいたら自然とどんな自分も心から愛おしく感じるようになっていました。

 

とっても素敵な自分も、とってもみっともない自分も、等しく愛おしい・・・・・・何をしていても、すべて同じだなって、本当に深くそう感じるようになりました。

 

境界線が消失し、私の中のすべてが解けあってひとつだと感じる内なる感覚・・・・・・。

 

昨年8月にインドを訪れた後に自分の身に起きたプロセスにより、さらにそれが深くなり、静かにそれを感じている状態です。

 

でも、表面的には極めて普通!

 

そう、とってもとっても普通なのです!

 

 

 

スピリチュアルを特別なもの、日常と切り離して考える人も多いように思いますが、そうではないですよ。

 

真のスピリチュアリティって、特別な時だけ何かを感じているっていう状態ではなくて、日常的にその感覚で生きるってことなんですから。

 

何をしていても、チャネリングをしていても、ワークをしていても、仕事をしていても、お買い物をしていても、誰かとお話していても・・・・・・。

 

そういう境目、境界線がないなって状態です。

 

だから何も力むことがないっていうのか、どんな時も普通っていうのか・・・・・・それが自然体っていう印象になるのかなって思っています。

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

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