許すということは・・・・・・

 

 

 

 

かつて・・・・・・今から20年以上前のお話ですが、許すということについて考えたことがありました。

 

それは、自分の中に相手を許せないという思いがあり、そのことがとても苦しかったからです。

 

どうして私はその人のことを許せないのだろうか・・・・・・

 

頭では許そうとするけれど、許そう、許さなければと思えば思うほど苦しい・・・・・・

 

人を許すことができない自分を責め、罪悪感を持ちました。

 

 

 

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ある時、ある瞬間にわかったことがありました。

 

それは、相手を許すのではなく、相手を許せないと思う自分自身を許すことが必要だったのだ・・・・・・ということでした。

 

相手に対して許せないという思いを持つこと、そしてその思いを反芻し続けることで、自分の内側は葛藤でいっぱいになってしまう・・・・・・。

 

そんな自分を、そんな風にしか思えない自分を、自分は何て嫌な人なんだ・・・・・・心の狭い人なんだ・・・・・・・と、自分を責めることばかりしていました。

 

ですが、それを止めて、どんなに醜い感情も、思いも、そのまま感じることを許可する・・・・・・つまり、自分の感じていることに対してジャッジすることを止めたのです。

 

 

 

それまでの自分は、いい人でいたいし、いい人でいなければ誰も受け入れてくれないのだと頑ななまでに思い込んでいて、その思考の枠の中で自分自身を肯定できずにジャッジし続けていました。

 

相手を責めていれば、悲劇のヒロインでいれば、自分の内側の奥底にある闇の部分を直視しなくてすむので、ずっとその様にして生きてきたのです。

 

自分はいい人なのに、どうしてこんな目にばかり遭うのか・・・・・・と、現実を嘆きながら己の無力さを呪いました。

 

私は悪くない・・・・・・私は正しく生きている・・・・・・なのに、攻撃してくるあの人はひどい人だ・・・・・・一生懸命にやっているのに周りの人たちが認めてくれない・・・・・・見る目がないバカな人間ばかりだ・・・・・・と、周りの人たちのことを責めて、バカにすることでしか自分の中のバランスを保てなくなっていました。

 

ものすごい性格ブスもいいところです。

 

自分がそんな考えだから、誰からも相手にされないとは考えないで、すべてを周りの人や環境のせいにしていました。

 

そういう思考がいつしか無意識の癖、習慣となっていて、無意識にそうし続けていたが故に、自分自身の思考信念が自分を縛っているという事実に氣づくことができないでいたのです。

 

 

 

相手を許すのではなく、自分のことを許してあげること・・・・・・。

 

それは、母のことを見ていて氣づかされたことでもありました。

 

 

 

とてもいい人である母は、他人の非常識な言動がどうしても許せない人でした。

 

そして、そのいい人であることを他人にも強要する部分がありました。

 

父譲りの自由奔放な意識を持ち、宇宙的な感覚を持っていてちょっとズレていた私が、そうした価値観を持った母に育てられ、正しく在ること、常識的であることを強要され続け・・・・・・次第に自分が見えなくなってゆきました。

 

離れようとしても引き戻され続け、離れることを許されなかった私は、次第に自分の感じることを捨てて生きる他に選択肢が残されていない様に感じるようになり・・・・・・あらゆることを諦めるようになりました。

 

そして、無意識のうちに自分の価値観ではなく母の価値観で生きていて、虚ろな状態・・・・・・氣虚の状態でした。

 

被害妄想が強くなり、外側の人たちが自分を害することを恐れ、他人を無意識にジャッジして自分のことを守っていたのです。

 

 

 

外側の人たちを自分の常識の尺で測り、ジャッジして心のどこかでバカにすることで自分の優位性を感じつつ、自分自身の闇を直視しようとしなかったために、とても逃げられない程の窮地に立たされることとなり、その時になってようやく氣づくことができたのです。

 

相手のことや周りの環境を責め続けている自分自身に疲れてしまったし、そのことによって結局は本当の意味で何も解決しないこともわかってしまったのです。

 

そして、それは他人や周りの環境の責任にして自分の感じていることを感じないようにしているということで・・・・・・つまり自分自身の感じることについて、すべてありのままに感じることを許可していなかったのだということに氣づいた瞬間でもありました。

 

 

 

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他人のことを許すことができないことで苦しんでいる人は多いのではないでしょうか。

 

外側の人を許したいのに許せないと感じる時、それは自分自身のことを許せていないからなのかもしれません。

 

自分自身の感じていることを、そのままありのままに感じることをできない環境に育ったことで、無意識的に自分の感覚感情に蓋をする癖が発動するので、自分でどうしてそうなるのかがわからないのかもしれません。

 

私の場合、正しく在ることをよしとする母親の価値観の刷り込みにより、ネガティブな汚いと感じる感情を感じることを自分自身に許可できなくなっていました。

 

ですから、ネガティブな汚いと感じる感情を感じる時には、そういう感情を感じる自分を責めたり、無意識に外側の人たちをジャッジし攻撃したりしていました。

 

いつでも自分のことを監視していました。

 

それも無意識に行っていたことなので、その息苦しさを払拭したいけれど、当時の私にはどうしたらいいのかがわからなかったのです。

 

 

 

その時、どうしてそのことに氣づくことができたのか?ですが、それは見えないけれど自分を見守ってくれている大いなる存在にお願いしていたからです。

 

危機的な状況の中には、自分にはわからないけれど、きっと自分に必要なことを伝えようとする大いなる意志が働いているのだろうと思いましたので、『今自分に何を伝えようとしてくれているのか』という視点で物事を見つめていました。

 

そして、『自分にはわからないことを適切な時期に教えて欲しい』と心の中で伝えていました。

 

その頃はディバイン(神・神聖な存在)のことをはっきりとわかっていた訳ではありませんでしたが、お遍路の人たちが笠に書いてある同行二人(どうぎょうににん)の言葉のように、自分には見えてはいないけれど見守ってくれている存在がいるのだろうということは感じていました。

 

なので、その見えない大いなる存在に委ねたのです。

 

 

 

委ねるとは何もしないこととは違います。

 

人間の自分としてできることは行った上で、後の起こることについては委ねる・・・・・・それはつまり、起こることはすべて最高最善のことであると信じるということです。

 

起こることが、たとえ自分にとって不都合なことであったとしても、意味なく起こることはひとつもないので、その中に自分に対して伝えられているエッセンスがあるのだということがわかると、無意味に葛藤を続けることもなくなります。

 

 

 

人間が葛藤を続けるのは、本当の自分の思いを蔑ろにし、頭の意識で動こうとするからです。

 

本当はこうしたいというのがあっても、その思いが合理的でないとか、根拠がない時、頭で考えることを優先させます。

 

頭で考えることばかりを優先し、本当の思いを蔑ろにし続けていると、無視し続けていると、自分は一体何のために生きているのかがわからなくなり、生きていたくなくなります。

 

生きるのに必要な氣が不足し、氣虚の状態となり、周りのエネルギーの影響を受けやすくなります。

 

すべてと切り離されていると感じ、分離感、孤独感が一層強まります。

 

 

 

そういう意識の状態の時には、まるで自分に罰を与えているかのように感じる現実の中に恩寵を見出すことは、最初はとても難しく感じるかもしれません。

 

しかし、物事の受け止め方、認識の最初の前提として、すべてを信頼する、起こることのすべては最高最善のことで自分に罰を与えようとしているのではないのだという捉え方ができるようになれば、物事に対する認識が大きく変わるはずです。

 

自分には見えないしわからないけれど、大いなる何かが自分と共に在り、あらゆる形で自分のことを見守り応援してくれているのかもしれない・・・・・・。

 

最初はそういう感じでいいので、その様に思いながら日々の日常の中に起こることを見てゆくと、様々な場面で何らかの助けが与えられていることを次第に感じるようになるのです。

 

 

 

確信を強める、深めるのは、とても地道なことです。

 

一足飛びに無条件に信じろと言われても、それはなかなか難しいかもしれません。

 

最初はそうなのかもしれないな・・・・・・位の感覚で見ていて、実際に何らかの助け、恩寵を感じる出来事が起こり、そのことに氣づきはじめると、次第にそうなのかもしれない・・・・・・が、そうなんだろうな・・・・・・になり、そうとしか考えられない・・・・・・と、確信が段階的に深まってゆくのです。

 

それは、ある意味でとても地道なことではありますが、お金もかからず自分でできることでもありますし、変なスピリチュアルなワークに参加するより余程効果的です。

 

人によって人生のプロセスは様々です。

 

神的な存在を感じ、信じざるを得ないような奇跡的な体験をすることで、神的な大いなる存在を感じ、一瞬にして信じるモードに切り替わる人もいるでしょう。

 

しかし、大抵の場合はそういう特殊な体験から神的な大いなる存在の臨在や助けを感じるのではなく、日々の生きる日常の中で助けられていることを信頼してゆくことが必要な場合が多いのです。

 

 

 

自分がどういう認識に基づいて生きているのかを知り、そういった不要な思考の枠から解放してあげてください。

 

罪悪感を感じ、自分を無意識に罰するのを止めて、無邪氣な自分を許してあげてください。

 

完璧になろうとして、なれない自分のことを出来が悪いと貶めないでください。

 

自分で自分を無意識に責めること、罪悪感を持つことから離れてゆくと、自然と周りの人たちを無意識に責めなくなります。

 

 

 

他者を許すことよりも、自分自身を許して解放してあげてください。

 

自分自身を自分の認識の枠の中に閉じ込めている状態は、知らず知らずに葛藤を生み出します。

 

許せないと思う時、許さなければならないと思わないで、その許せないと思う氣持ちを排除しよとしないであげてください。

 

忘れよう、感じないようにしようとした感情は、結局は残り続けてゆくのですから。

 

ネガティブな感情もポジティブな感情もどちらも自分の中にあるものです。

 

ネガティブな感情を悪だと思わずに、そう感じる自分自身を責めないで、今はそう感じる自分なのだと認めて受け入れてあげてください。

 

そうすれば、その思いを感じる元のエネルギーとつながることができます。

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

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