続・自分の持っている質を受け入れる
の続き的なことです。
この頃は、かつての自分では考えられなかったことですが、たくさんの人と関わりたいな・・・・・・と思うようになりました。
これまで、私のスタンスとして個人や少数の人向けに行うものがほとんどだったのですが、ラジオ番組をはじめて、他の人の人生について触れるようになって、もっともっと人のことをより愛おしく感じるようになってきたのです。
すると、自然にもっと人と関わってゆきたい・・・・・・と思うようになりました。
これまで、自分の行っていることって、万人に広くわかってもらえるものではないことを自分でわかっているので、自分で勝手にわかる人だけにわかってもらえればいい・・・・・・と思っていました。
そういう思い込み、認識だったのですよ・・・・・・無意識に。
本当に必要な方に伝わってほしいと顕在意識的には当然思っていたのですが、無意識なレベルでは伝わらなくても仕方がない・・・・・・という諦めの思いがありました。
そういう無意識な思いが自分の持っているものを伝わるものにしようという方向に向かうのを阻んでいました。
それに、自分の行うセッションや講座は、受講してくださった方にはとても好評なのですが、それをSNSなどでシェアしてくださる方はほぼ皆無で。
自分では、それは自分の行っていることが一般的ではなく・・・・・・受講したことを秘しておきたい質のものだからなんだろうと捉えていました。
しかし、そうではなく、自分自身が自分の行っていることに対してそういう認識を持っていたからなのだと氣づかされました。
人から何をしているのか?と問われても、意識の変容にフォーカスした内容をお伝えしていることを何となくぼやかしてお伝えしていました。
それは、どうせ伝わらない・・・・・・という諦めがあり、そういうことをしている自分自身を信じ切れていないからであり、それは相対する人を信頼できていないということにつながっています。
そういうことは本当はとてもシンプルなことだけど、言葉で伝えることはとても難しい・・・・・・わかる人だけわかってもらえれば、ご縁のある人にだけ伝わればいい・・・・・・。
それは確かに一面では本当にそういう側面はあります。
けれども、何においてもそうですが、自分が行っていることを自信を持ってやっていないのに、それがお相手の心に届く訳がないのです。
もちろん、これまでも情熱を持ってやって来てはいます。
ですが、その裏にまだそういった思いが残っていたのですね。
自分のことを知ってくれている人たちの間で、わかってくれるであろう人に伝わればそれでいいと思っていて、それ以上に拡がることに対して無意識的にブレーキをかけている感覚です。
それは、自分自身を小さな枠に閉じ込めているかのようです。
今見えているものはこれまでの残り滓みたいなものなのですが、もっとずっと以前のことを考えると、本当にそういう思いが強かったのだな・・・・・・と感じます。
自分を信じる、自分の質を肯定する・・・・・・それがとても大切なことであり、自分自身でもそういう部分を意識して、そこに対する否定的な思い込み、ネガティブな思いをずいぶんと手放してきました。
それでもなお『どうせ自分のやっていることは誰にも理解されない・・・・・・』という思いの残り滓が隠れていました。
・・・・・・誰にも理解されないかどうかなんて、やってみないとわからないことだし、仮に誰にも理解されなかったとしてもどうってことないのに。
これまでにも自分の思考の作り出すイリュージョンの世界を打破するために、現実的なレベルで無理だと認識していること、スピリチュアルな領域でも無理だと認識していることが目の前にやってきた時、マインドが無理だとすること、怖く感じることを敢えて行ってきました。
それでも、まだなお、いい格好しぃな自分が残っていて、格好、体裁を氣にしていたんだなぁ・・・・・・頭で創り出された幻想の自分を守るための不要なプライドが残っていたんなんだなぁ~と、氣づかされました。
でも、もうその質を変えようとしてこれまでの様に頑張らなくていいし、戦わなくてもいいことも同時に受け取りました。
これまで無意識に抵抗していたこと、変えようとして戦っていたことが、ようやく顕在化したのです。
特にラジオ番組をはじめてからそう感じるようになりました。
ラジオ番組は、そういうことを意図してはじめた訳ではありませんでしたが、結果としてとても多くのことを教えてくれています。
それまでの自分が、とてもちっぽけなプライドで自分自身の変容を阻害していたのだなぁ・・・・・・と。
これまで、それが私のスタンスであり、そういうものだとしてきたことが、そういうスタンス自体が自分自身をそうした枠組みに押し込んでいたことにようやく氣づけたのです。
自分とはこういうものだと定義して、その定義に合わせた言動をする・・・・・・そういうのって、意外と誰でも無意識にやっていることです。
そういった無意識な思いを意識化してゆくこと、マインドに無意識に支配されている状態からマインドを適切に活用し、誰かに頼るのではなく自らハートの声を聴いて行動する方向に意識の変容を促すことが私の最もやりたいこと。
意識が目覚めた状態・・・・・・つまりマインドの支配から自由になり適切に活用できるようになれば、葛藤に翻弄されることがなくなるので自然と幸せな人となります。
・・・・・・ピンとこない人、響かない人にはきっと何それ???なことなのですが、それを知ることで今ある状態から変容がスムーズになる方、必要な方がいらっしゃるはず。
かつての自分が 助けられたように、その出逢いで人生の質が変わるものだから。
それを本当に必要な方に届けるためには、もっと堂々とフラグを立てる必要があるのだろうな・・・・・・と。
これまでのように(意識の上で)どこかこっそりとやっている感じではなくて、本当に必要としている人がちゃんと見つけられるようにしっかりと旗を振ることですね。
ラジオ番組でパーソナリティとして収録をする時、必ず客観的に自分の話していることを見るようになります。
どれだけの人がお聴きくださっているのかは別にして、公開される放送の中でお話する時、人から見た自分、人から聴いた自分の放送・・・・・・というのを嫌でも意識するようになります。
ブログは書き記すことで自分の内面で感じていることを視覚化、現象化することで客観視ができたり、漠然とした思いを文字にすることで新たな氣づきが起こるようになる・・・・・・という感じです。
ラジオ番組は、誰でもがお聴きになれる放送でお話することにより、ブログと同様に内面の現象化と共に、外側から見た自分、他者目線で自分自身のことを見るという新たな観点が育つのだと思います。
俯瞰の感覚が変わるというのか・・・・・・。
それは、私がそう感じているだけなので、他の方がどの様に捉えていらっしゃるのかはわかりませんが、パブリックな放送のための収録というのは、ある意味で新たな自分自身と出逢うための儀式のようなものだな・・・・・・と思います。
そういった理屈を抜きにして、ラジオの収録はとてもとても楽しいです。
楽しくワクワク、自分自身がごきげんでいると、色々な氣づきがやって来ます。
ゆめのたね放送局は、それぞれの人がそれぞれの色を発揮する素晴らしさが体現されている場所なので、自分が自分のありのままでそれでいいんだと自己肯定感が育つ場所でもあります。
場のエネルギーは人に大きく影響しますから、私はゆめのたね放送局のエネルギーにずいぶんと助けていただいているな・・・・・・と思います。
自分の中の“いい格好しぃ”な質を、かつてはとても嫌で嫌っていました。
プライドばかり高いので、何かをして傷つくことがとても怖かったですし、そういうことを避け続けていました。
『何もしなければ傷つくこともない』
けれども、そういうことを続けていては、確かに傷つくことはないけれど、これまでの臆病で自分のプライドを守ることで必死なちっぽけな自分自身を変えることはできないと感じていました。
そういう部分があるのをわかっていて、敢えてそれを打破するために様々なものに飛び込みチャレンジしてきました。
それでも未だにそういう部分に囚われていた自分がいて、いい格好をしようとしてたんだな・・・・・・と思うと、そういう自分のことがとても可愛く思えてきます♡
以前のように、そういう自分を嫌だとか、格好悪いとは全然思わなくて。
自分の中のポンコツな部分も、ダメダメな部分も、それも含めて自分自身を愛おしく感じるようになっていたのです。
完璧な人間なんてどこにもいませんので、自分の中の両方・・・・・・素敵な部分もイケていない部分も両方をありのままに認めて、そのままでいいのだと腑に落ちたならば、生きることがとても楽になります。
同じ様なことで立ち止まっている時、前と変わらない景色でグルグルしている様に思ってしまいがちです。
でも、それは違っていて、同じ様に見えてもスパイラルアップしている体験であり氣づきなんですね。
同じ様に見える体験で何で・・・・・・と思っているとしたら、それはとてももったいなくて。
その体験は過去の体験の時との認識の変容を確認するために起こっていることもあるのですから。
私はずっと、この自分の質を受け入れるという部分で、多くの葛藤を抱え続けてきました。
それは今生的なことばかりではなく、過去生においての課題を持ち越してのことも含まれています。
その抵抗を薄皮を1枚ずつ剥がしてゆくかの如く、ずっとずっとその部分に向き合い続けてきた人生だった様に思います。
その抵抗の最終的なものが、しし座のダブル新月の期間に起こった顔面神経麻痺という形で現れたのだと、麻痺が回復した今になって感じました。
以前から『あなたはどう生きたいの?どう在りたいの?』という様に、ある意味で迫られているかのように感じていたことは、この薄皮を剥がし続けることをいつ終えるつもりなのか?と問われていたのだな・・・・・・と。
何だかまた長文になってしまい、何が言いたいのかが伝わりにくくなっているかと思いますが、ご容赦ください。
ラジオ番組をするようになったのは、自分の行っていることをもっと堂々と、ハッキリと信じて行動してゆくようにという導きだったのだな・・・・・・と、身体の変調後に感じるようになりました。
自分が行っていることが、たとえどんなことであっても、それが好きならば堂々と表明してゆけばいいし、理解されないことを嘆く必要もない。
自分のハートの扉をオープンにして意識のスイッチをオンにしていれば、必ず共鳴する出逢いに導かれるのだから。
私は私の持つ質を受け入れ、愛し、その質をさらに生かします。
そして、それが必要な人に届くように行動します。
私は私の世界をさらに拡げ、多くの人と出逢います。
私と逢いたいと思ってくださる人がいれば、どんな場所にでも馳せ参じます。
そう思っていたら、人にお貸していた映画のDVD『きっと、うまくいく』が手許に戻ってきました。
そういう形でお知らせが~~~
ディバインって粋な計らいをしますね^^
~with all of my heart~
Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)
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