神を感じる感覚とそれを磨く時に必要なこととは?
眞穂乃のブログにお越しくださり、
ありがとうございます!
以前に書いてテキストとして置いていたものなのですが、改めてアップします。
人には大きく分けると【視】【聴】【感】【知】の4つの神とのつながりの形態があります。
また、大きく分けた4つの形態のそれぞれも、同じ【視】の能力が高い人同士でも、その視え方は違っています。
4つの神とのつながりの形態も、厳密に言えばもっと細かく細分化されますが…そうなるとキリがないので、この4つの形態を軸にお話しますね。
これらの能力は、どれかひとつしか感じないということではなく、皆がどれも持っているのですが、魂の個性によってどれかの感覚を優位に感じるという特性があります。
中には比較的バランスよく開いているという場合もあるかもしれませんが、大抵の場合はどれかの感覚が優位にあり、誰もが自分が優位に感じやすい形態があります。
そして、どれかの感覚が優位にあるということは、その優位にある感覚を意識して使うようにしてゆくと、優位にある感覚はどんどんと鋭くなってゆきます。
なので、次第に苦手な分野の感覚についても必要があれば開きやすくなってゆくのです。
ですから、感覚を開く時には外側のことに対して感じる感覚感情や肉体感覚、皮膚感覚など、様々な感覚のどれが特に優位にあるのかに意識的になる、氣づくということがとても大切になります。
開き方は人それぞれで、4つのうちのどれもがかなり開いている人もいれば、逆にどれもそれほど開いていないということもあると思います。
ですから、人によって感じ方は様々で、とてもユニークなのです。
必要があれば…と書きましたが、【感】と【知】については、一般的に生きている人の中でも相当数知らない間に使っている、ということがあります。
【視】や【聴】ということになると、これは普通の人には見えないものが見えたり聴こえないものが聴こえたりする訳ですから、嫌でも感覚に氣づきます。
ですが、【感】と【知】については、感覚であったり、どうしてかわからないけれどわかる、といった感じのものなので…自分が感じている感覚がいわゆるシックスセンス的な感覚だということに氣つきにくいのです。
氣づかなければ、それを特に磨こうという氣持ちにはなりません。
けれど、現実的な様々な分野で成功している人たちというのは、【感】や【知】の能力に非常に長けている人たちです。
無意識的に…または意識的にシックスセンス的な能力を使って必要なタイミングを図っているといえます。
もし自分に与えられてあるものならば、拒否するよりも受け入れて感覚を開いてゆくのもひとつです。
しかし、通常の周波数では見えないものが見えるとか、聴こえないものが聴こえるという【視】【聴】の感覚は、精神が未熟な状態で開いてしまうと、後がとんでもなく大変です。
どうしても特別に感じてしまうものなのでね・・・。
なので、そういうこと・・・自分の持っている能力を使う仕事に係わりたいと思う人から時々相談を受けたりすることもあるのですが・・・
そういう人にはわからないことがわかるという部分だけにフォーカスするのではなく、むしろ意識のレベルを進化向上させてゆくことと一緒にやってゆかないと~むしろそっちを優先してっていう話をします。
人の心というのは変節するものなので。
最初はそうではなく純粋な意図だったとしても、心が未熟だと増上慢となってゆき、次第に変節してゆくのです・・・。
その傾向性は、能力を求める人に多いです。
何故ならば、その求める動機の裏には往々にして人から認められたい・・・という願望が隠れているからです。
現実を生きる時に、儘ならないことがあり自分が認められないと感じる時、無意識に人にない能力を求めて自分を特別だと思いたい・・・そういう思いがどこかにあると、変節してゆきやすいです。
特に、こういう人にはわからないものを感じたり見たりできる能力というものがあると、人はその人のことを「すごい」とか何とか言って崇めようとするので・・・それを真に受けて「自分は他の人とは違うので!」という特別意識を持ってしまいがちです。
でも、何も特別なことではありませんからね。
今生での必要性の問題もありますし、それがあることで学ばねばならないことがある場合がほとんどなので・・・。
別に特別でも偉い訳でも何でもありません。
なので・・・何度でも言いますが、自分の感覚を開いてゆく時、それだけにフォーカスするのではなく、意識の進化向上とセットで考えてくださいね。
意識レベルが高まると、自然に色んなことが見えるようになってくるので。
意識のレベルが高まって感覚が開いてくると、その辺りのこと・・・自分が特別だからそうなっている訳ではないことがよくわかるので、増上し慢心することもありません。
要は分離感があるままだと、愛を求める・・・人からの注目を浴びたいとか認められたいというあなたと私が分離している状態なので、そのニーズに翻弄され増上し慢心してゆくのです。
能力を開くことは本来的に感じていた感覚を取り戻してゆくことなので悪ではありませんが、そこをどうしてそうしたいのか?の動機が問題だということなんです。
特別なのはみんな特別なんです。
それぞれオンリーワンのユニークな存在です。
誰かと比べて自分が特別・・・というのではなくて、それぞれが個性的でユニークな特別な存在です。
【誰かに認められたい願望】みたいなのが最もやっかいなのです。
外側の人に認めてほしい、わかってほしいというマインドのニーズに翻弄されなくなれば、みんなハッピーなのです。
その思いが浮かんでくるのは自動的なものなので構わないのですが、マインドのニーズに意識的であれば・・・それに捉われ翻弄されなければいいんです。
外側のことばかりでなく、自分の内面で起こっていることに意識的になるといいですね^^
Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)