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祈りは“意禮”

 

 

 

 

お祈りとかするのって、外側の何かに働きかけている様に思われる方もいるかも知れません。

 

しかし、外側の誰かの為の様に思うことも、実際はすべて廻り廻ってくるものなので、誰かの為であり自分の為なんです。

 

祈って何になるんだとか、偽善とか、色々と考えることもあるかもしれないですね。

 

外側で働きかけることも、内面的に働きかけることも、究極的には同じことなので、外側で働きかけることも大切だし、内側の平安を感じることもとても大切。

 

両方できる人は両方やればいいし、外側で働きかけることができなくても、不安を抱きしめてあげて、内なる平安を感じることを意識してソースとつながればいい。

 

 

祈りは、地球や宇宙と私たちの小宇宙を清浄するものです。

 

不要になったエネルギーを根源へとお還しすることで、循環をスムーズにするものです。

 

祈りを通して、自分という存在が単独で存在することはあり得ないということに氣づくのです。

 

見ているあなたも私もつまるところはすべてつながっているのだということを、本当は知っていることを思い出させてくれます。

 

孤独感、分離感というマインドが創り出す自己の感覚から離れて本質とつながる時、人は魂を通してすべてなるものとのつながりを感じ、分離の感覚からくる不安や怖れから離れて内なる平安を感じるのです。

 

 

 

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地球や宇宙とつながる感覚を通して孤独感、分離感から離れることで、自分という個が消失するという恐怖がもたらす不安や怖れがあったとしても、そこにとらわれて無用のネガティブストーリーのループに嵌まることも少なくなってゆきます。

 

祈りとは自分自身と向き合うものです。

 

たとえ誰かの為に祈っていることであったとしても、自分を構成している世界のことを祈ることは、即ち自分のことなのです。

 

 

 

すべてが他人事から自分事、つまり、分離の感覚から他者を責めたり批判したりする姿勢から、すべての現象を含めて自分事としてその世界を見ること、自分に力を戻してゆくこと・・・・・・が今は求められている時です。

 

自分は無力だ、何もできないと多くの人は思うかも知れませんが、そんなことはまったくなくて、それぞれの人が自分自神である感覚を取り戻すことは大きな貢献となるのです。

 

自分の内側の小宇宙とつながりを思い出すこと、そして、自分の中で嘘のない状態・・・・・・つまり、無意識に自分を貶めたり責めたり批判したりすることを止めることですね。

 

存在の前提を『足りない』『欠けている』という欠乏感、否定の感覚で世界を見るのか、それとも、『満ちている』『すべては与えられている』という肯定感、肯定の感覚とするのか。

 

表面的には同じことを行っていたとしても、この存在の前提によって、体験から得るものはまったく違うものとなりますね。

 

 

 

祈りは意禮(いのり)

 

禮を意識的に行うこと。

 

禮を意図すること。

 

 

れい

礼。節操。分限。 
人の根幹であり、自らの心より発する自発的規範。 
部分と部分、部分と全体の調和・秩序を形づくるもの。 
禮は、人の諸機関が自ずから調和して全体としてあるが如く、それぞれが己の分限を守って尽すところをいう。 
故に禮を失すれば、全体は調和を失い、人の体であれば変調をきたし、組織であれば系統が乱れ、物事であれば収拾がつかなくなる。 
物事において節目を大事にするのは、節目が分限の最たる部分なるが故であり、その節目を掴んで操り*1*2、全体として調和に導くは、物事に対する人の禮である。 
禮は示+豊。 
示は神を祀る祭壇の形で多く神事をいい*3、豊は供え物の盛んなるをいう。 
春夏秋冬、各々の節目で畏敬の念をおこして神を祀り、天に祈り、大地を踏みしめ、大自然に感謝し、“それまで”と“これから”を繋ぐ、それが禮である。 
また、説文解字の示部には「履なり。神につかへ福を致す所以なり。示に従ひ豊に従ふ、豊は亦た声」とある。 
履は人が足で道をふみ歩く意とも、土地を得てその地をふむ儀礼の意ともされるが、いずれにしろ人が大地をむ行為をいう。 
人がみ往きてゆるがせにせざれば、それは遂には道となる*4。 
その道は人が辿りつくすべとなり、これを尽して神意に適い、故に自ずから福を致す。 
福を致すとは、福が舞い降りるのではなく、自らみ往くからこそ自然に福となる、ということである。 
現代的な意味での禮は、表面上の恭しさや規律・言行動作ばかりが強調されるが、そのような規定されたものは形式であって本質ではない。 
禮の本質とは、素行自得であり、自己自身であり、いまそのときに心から自然と溢れ出るところのものを尽すことである。

参照:禮とは - 語彙

 

 

禮は訓読みで〔のり〕 とも読みます。

 

 

 

お祈りの呼び掛けの時に、大難を小難に、小難を無難に・・・・・・と呼び掛けましたが、こちらも、大難を小難に、小難を無難にするためにお祈りをするというよりも、本当は自らの心の内側が平安となったことにより、結果として大難が小難に、小難が無難となるのです。

 

外側の現象を変えようとして祈るのではなく、祈ることによりそれぞれの内側が平安になることにより、結果として外側の現象の中に変容を見るのです。

 

 

 

もっと平易に書きたかったのだけど・・・・・・これが私の限界です。

 

 

 

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