クライアント様との会話から①~ゆめのたねと自分の声について~
先日、お越しになられた20代中頃の方にお話ししていたお話。
その方は、近く海外に語学留学のために旅立たれるのですが、その時に私のお話ししたことがとても参考になったということでした。
他の方にも、もしかしたら参考になることがあるかもしれないので、こちらでシェアしますね。
概ねこういうお話でしたが、何分思い出しながら書きましたので、お話がお話しした時以上に細かくなってはいます。
しかも、細かく書いていたら、もの凄く長文になってしまいましたので、さらに続きます。
文字数がかなりの大容量(9700文字位!)なので、よろしければお時間のある時にでもゆっくりとご覧ください。
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私が今、ラジオのパーソナリティをしているのは、本当に偶然の引合せが重なった結果です。
偶然というのは本当はないので、必然的にそうなったということになるのですが、ともかく、すべての順序が少しでも違っていたら、パーソナリティにはなっていなかったでしょう。
まず、説明会に一般の方向けのゆめのたね放送局のことを知っていただくための説明会とパーソナリティになりたい、興味がある人向けの説明会の2種類があることも知らなかったのです。
説明会の案内などをちゃんと読んでいたらわかっていたのでしょうけど、よく見ていなかった&パーソナリティになるということが私の頭の中にまったくなかったので、何らかのフィルターがかかっていて頭に入ってきてなかったのかもしれません。
もし、事前にパーソナリティ募集のことを知っていたとしたら、説明会には行っていなかったと思います。
なぜなら、先ほども既に書いたように、私自身がパーソナリティになりたいという思いを持っていた訳ではなかったからです。
むしろ・・・・・・もし知ったとしたら、素人が何話すことあるの?声があかんやろ?放送されるとか無理!位に思っていたであろう・・・・・・という感じだったので、何か順番が違っていたら・・・・・・パーソナリティになるという選択には至らなかったであろうな、と思います。
本当に導いていただいた順序は完璧で、そうでなければ今はありませんでした。
そんな感じでたまたまパーソナリティになれることを知らない状態でゆめのたね放送局の説明会に参加して、その時に偶然に居合わせてお話しさせていただいた方の発言のお陰でパーソナリティになるための勉強をするのも面白いのかな?もしかしたらパーソナリティをしてみるのも楽しいのかも?という氣持ちになったのです。
偶然という名の必然なのでしょうけど、その年にインドに行ったのですが、もしインドに行く前に説明会に参加出来ていたとしたら、やはりパーソナリティになろうとは思っていなかったと思います。
細かく書くとさらに長くなるのでここでは大まかに概要だけ綴ります。
インドの旅のコースが終わった後に訪れたとある地で、自分の今までできたけれど表には出さなかったこと、秘匿し続けていたことに関して、つい口をついて出てきてしまった・・・・・という出来事がありました。
今までだったら人前では絶対に言わなかったこと、シェアしなかったことを、その場では発言しようという氣になった・・・・・・というか、思うとか思わないとかより先に口から出ていた・・・・・・という感じでした。
私としてはどちらかというと「やってしまった・・・・・・」という感覚だったのですが、自分の思いとは裏腹に、その時、その場で私が発言したことを聞いていた人たちから、
『もし、そういうメッセージ的なことを感じるのならばシェアしてほしい、自分たちはそういうことを言葉では感じないから聞けてよかった。』
という様な、とても肯定的な答えを受け取ったんです。
それまでの私は、過去生などの影響と共に、家族にもずっと秘匿し続け、長年会社員をしていて自分の感覚について長らく秘匿し続けて隠しまくりで生きてきたということもあり、そうした感覚のことをことをオープンにすることに対してとても大きな抵抗感がありました。
ブログはともかくとしても・・・・・・なるべく知られたくない!という思いが根底にあり、それがとても根深いものだったことを、何となくわかってはいましたが、ここまで深いモノだったことをこの時になってようやく自覚しました。
抵抗感が強いことはわかっていたつもりでしたが、自分が自覚している以上に強力だったんですよね。
インドの旅の時に、恐れを超えてそういったことをオープンにしてゆくこと・・・・・・という課題的なモノを受け取っていたので、ゆめのたね放送局でパーソナリティになるという選択肢が見えた時に、自分のそういう部分での抵抗感を払拭してゆくプロセスの中で必要なのかもしれない・・・・・・と直感的に感じたのでした。
インドに行く前々月のゆめのたね放送局の説明会に行きたい、行って共同代表のおふたりに直接お逢いしたい・・・・・・と思っていましたが、その時はタイミングが悪く出張が重なっていてどうしても行けず・・・・・・無理でした。
もし、この時にパーソナリティになっていたとしたら、ひとつ前の期になっていたんですけど、自分がパーソナリティになった時の同期生たちは、とても個性的て活動的な人たちで、ある意味で凄い人たちばかり。
今、そういうとてもアクティブで振り切ったリミットレスな同期生の人たちの働きを見て刺激を受け続けられるのも、この時に説明会に行けなかったから・・・・・・なんですよね。
行けなかったというとネガティブな印象となりますが、その時の『行けなかった出来事』は、私にとっては結果的にとてもよかったんです。
もの凄く交流しているということでもないのですが、何かと混ぜてもらったり誘っていただいたりで、13期に入れてよかったなぁ・・・・・・としみじみ思います。
必然的なタイミングというのがあるものなのだと思います。
そして、その次の説明会はインド行きがあったので日程的に無理で同じく行けず・・・・・・その次の説明会もまた出張と重なっている・・・・・・。
ここまで日程が合わないのは、これは行かなくてもいいということなのかな?と私は思って、旦那さんにもそのことを話しました。
で、私自身はもういいかな・・・・・と諦めていたのですが、旦那さんが直前になって『新幹線で大阪まで帰れば間に合うから、施術の時間が終わったらすぐに出て、ひとりで新幹線に乗って話を聞いておいで』と言ってくれたのです。
そして、それだけではなくて、ちゃんと新幹線と在来線の時間やルート、料金まで調べてくれて、新幹線の費用をくれた上で『この時間に出れば間に合うからね』とすべてお膳立てしてくれたんですよね。
当時、名古屋では整体とヒーリングを組み合わせてふたりで行っていたので、施術中は私が完全にいなくなる訳にはゆきませんでしたので、すべての施術が終わってから私だけダッシュで大阪まで戻ることにしました。
その時、車で名古屋まで行っていたので、ひとりで車で帰る旦那さんのことが心配ではありましたが、旦那さんがここまで言う時というのは、【そうする必要がある時】なんですよね、いつも。
普段はいつでも私の思うようにすればいいというスタンスで、自分の意見とかも私が執拗に聞かない限り自分からは全然差し挟まない人なんですが、時折、そうして強く言ってくる時があります。
そういう時は後々やはり必要だったんだな・・・・・・と解るということがこれまで度々ありましたので、彼がそういうことを言う時は何かあるのです。
それを信じていたので、そこまで言うのなら・・・・・・と、多少無理をする(この時で言うとひとりで新幹線で帰ってまで説明会に参加する)ことであっても、ともかく行動してみようという氣になりました。
とはいえ、何でここまでしてるんだろうな・・・・・・と心の中で思いつつ、新幹線に乗って京阪電鉄に乗り継いで、ちょっと無理をして遅刻しながら説明会に参加しました。
その時、はじめておふたりの共同代表のお姿を生で拝見し、ゆめのたね放送局の成り立ちや岡田尚起共同代表の人生のお話をお聞きしました。
お話の組み立てがとても巧みだなぁ~とか、ツボを押さえているなぁ~とか色々と思いつつ、お話のテンポが軽妙でありながらも深い人生のお話で、グイグイお話に引き込まれてゆきました。
あの頃、とても強くおふたりにどうしてもお逢いしたいと思ったのは、その時には理由は解りませんでしたが、当時色々とありましたので、おふたりの熱量に触れることで私自身が原点に回帰させていただくために必要だったからの様に思います。
説明会で何をするのか、話すのかもわからないけれど、この人たちに直接逢いたい!というのが最初に強烈に思ったことだったんです。
彼らの情熱、熱量に強く引き寄せられたのかもしれません。
そして、説明会後の懇親会で、後にパーソナリティ同期になった方で、元々FMのパーソナリティをされていた方と出逢いました。
その方がパーソナリティとしてお話しすることの楽しさを本当にとても楽しそうに話されていました。
本当にラジオでパーソナリティとしてお話しするのが好きなんだなぁ・・・・・・ということと、ゆめのたね放送局に出逢えて嬉しい!という真の心が、氣持ちが伝わってきて、私の理性の部分ではなく感情の部分がその方に動かされた感じでした。
そして、その時に来てくれていた私の前の期にパーソナリティになったお友達とお話をしていた中で、自分の声に何となくコンプレックスがあることをその方にお話ししました。
すると、その方は私がそんなことを氣にしていることに驚きつつも、私の声を『聞き取りやすい声だし、パーソナリティ向いているんじゃない?』と言ってくれました。
それは率直に思ったことを言ってくれたという感じでした。
それが、何となく日和見的な感覚で言っていることだったらそんなに刺さらなかったのだろうな・・・・・・と思います。
自分の持っている声に対する認識と人が聴いて受ける印象にギャップがあるのだなぁ・・・・とその時思いました。
かなり自分の思い込みフィルターが掛かっている・・・・・・。
自分の声に対する認識が嫌な印象のままなのは嫌だな・・・・・もし、これがきっかけになって自己認識が少しでもいい印象に変わるのなら・・・・・・変えたい!と率直に思いました。
思春期の頃に録音した自分の声を聴いてガッカリして凄く嫌になって、そこから何となく自分の声に対してポジティブな印象を持てないままだった私。
その時の体験で、自分の声に対してそこまでネガティブな印象を持っているままだったことも非常に衝撃的でしたが、その認識をそのままにしたくない!という思いも同時に強くありました。
そういうことで、私の場合、自分の声に対する認識を塗り替えるべくラジオパーソナリティをやってみようという氣になった・・・・・・というのもひとつの理由なんですよね。
こんなことが動機になってやっている人もいるんです。
立派なヴィジョンがある訳でもなく、明確な意図を持ってパーソナリティがやりたいと思っていた訳でも何でもない・・・・・・。
最初は何の大義もない、ロクな覚悟もない、恐る恐る状態の私でした。
ですが、ゆめのたね大学で担当番組の収録&放送に向けて深めてゆくプロセスのお陰で、本当は伝えたいことがあったじゃない!となったのです。
ゆめのたね放送局には本当に色んな人がいますよ。
意識高く伝えたいことが最初から溢れんばかりに凄くある人も、ラジオというツールを使って何をやりたいのかが最初から明確な人もいます。
対極で私みたいな何でパーソナリティなんてやるの?さぁ~よくわからん!何するんやろね???的な人もいたり。
実際に同期生の中にも、私と同じように最初からしたいことがあるわけではなかったけれど、やって行きながら色々と発見し、ラジオを最大限に楽しんで活かしている人がいらっしゃいます。
目的が明確でハッキリとしていて、自分の行っていることを最大化できる人たちは、本当に素晴らしいと思いますし、正直、羨ましい部分もあります。
しかし、人と比べても仕方ないので、私は私のスタンスで人生を歩み、ゆめのたね放送局とも関わってきました。
実際に、行動したことで自分の知らなかった自分が見えたり、認識が大きく変わったりしました。
本当に、すべてのタイミングが私にとってはバッチリで、この流れでなければパーソナリティになる選択には至らなかったであろう・・・・・・という流れでした。
パーソナリティになんてなれるとも思っていませんでしたし、なりたいとも思っていなかった私が、ゆめのたね放送局の説明会の3時間ほどの間にパーソナリティになることを強く意識するようになったのですから、凄いことですよね。
何だかわからないけれどものすごいエネルギーが動いてくれていたのは感じていました。
でも正直、最初はものすごい拒否感が強く来ていたんですよね・・・・・・。
いやいや、無理やろ!普通に。。。
素人丸出しの私が放送で一体何を話すというのか???
人に放送でオンエアされる声を聴かれるなんて、聴くに耐え得るモノになるのか。
ただ原稿を読んだり話すだけでなく、番組作りをしなければならないなんて・・・・・・とか。
本当に何?その拷問??公開処刑???そんなの恥をかくだけなんじゃないの?・・・・・・とか。
本当に色々とネガティブな考えがてんこ盛りに出てきました。
でも、その奥で何かワクワクするものも同時にありました。
昔、小学生の頃に国語の本とかの朗読が得意で、先生から感情が伝わる読み方でとても上手いと褒めてもらっていて、本を読むのは好きだったな・・・・・・。
そういう忘れていたことを思い出して、その時の感情や感覚まで思い出して、何かはわからないけれどやってみたい・・・・・・やってみなければわからないよねって。
インターネットラジオのパーソナリティをやったからといって、その先どうなるのかはまったくわからないけれど、結果は委ねて自分のやれることはやろう、やってみよう、続けてみようと思いました。
私は未知の領域は怖くもあるけれど、知らない世界を知れて体験できるチャンスでもあるので、余程のハートの拒絶感がない限りはやってみようと思う方です。
私の中で、自分の中で有り得ないと思うお話が来た時、想定外の提示があった時は、出来るかどうかはわからないけれど、やって来たものについて少しでもワクワクする氣持ちがあるものはともかくやってみようという氣持ちがありました。
頭はザワザワ色々なことを言いますけど、心の奥底のワクワクする氣持ちは、顕在的な意識では認識できていないけれど、それが自分にとって必要なのかどうなのかを本当は知っているからワクワクするのだと解っているのです。
なので、ワクワクというか何だかわからんけれどやってみたいかも・・・・・・という感覚がある時には、その直感的な感覚を信じることにしています。
自分の想定している範囲内のことよりも、そういう自分ではまったく想定していなかった想定外のことにチャレンジすることの中に、自分の想定しているちっぽけな自分を超えた自分を見ることを知っていたのです。
で、そんなこんなで現在パーソナリティになってから1年半以上経ちました。
このまま続ければ来年の2月で丸2年で3年目に入ります。
実際にパーソナリティになって一番驚いたのが、自分ではそうは思っていなかったことを言っていただける・・・・・・つまり、自分で氣づいていなかった長所を教えていただける機会か増えたということです。
それは、具体的に言うと声についてお褒めいただくことがとても多いということです。
本当に驚きです!
自分ではあんなにネガティブに捉えていた自分の声について、ハッキリと明瞭で聞き取りやすい、アナウンサーの様な話し方だと言われることは私の中ではまったくの想定外でした。
褒められることに対しての驚きもとても大きかったですね。
自己認識の歪みを整えたいという意図はここで叶っていましたね。
これまで自分が意識してやってきたことが、結果的にとてもいい形となって現れているんだなと思うと、とても嬉しいことでもありました。
今のような話し方、発声の仕方というのは、何かそうしたスクールに入って勉強したとかそういうことではありません。
(スクールに入ってお勉強している人ほどのレベルではもちろんありません・・・・・・悪しからず)
けれども、かつてと今の話し方を比べると、聞こえ方、話し方がまったく違っています。
私の今の話し方は、かつての会社員時代の仕事の中で講師やリーダーをしはじめた頃、ちょうど人前で話すことが増えてきだした頃にハイヤーマインド、ディバインセルフから伝えられた【この様なことを意識して話しなさい】というガイダンスに基づいています。
今の話し方は、その頃にディバインセルフから伝えてもらったガイダンスの内容を常に意識して心掛けていたことが、年月を経て習慣化して定着したものです。
いわば、天然物ではなくて、意識して積み重ねによってつくったものなんですね。
今となってはそれが当たり前になっているので、天然になったと言っても過言ではないかなと思いますけどね。
当然、その当時は、それがこうした今の様に講座でお話ししたりパーソナリティとして語りをすることにつながると思っていた訳ではありません。
それがどういうことにつながってゆくのかなんて、その当時には何ひとつとして見えていませんでした。
今までだったら絶対に引き受けなかったことを積極的に引き受けてやるようになり、その中で少しでも伝わるように話せれば・・・・・・と考えて、話せるようになりたい!という想いがあったので、その想いをとても大切にしていました。
そう思って行動していたら、件のガイダンスを伝えてもらえたのです。
その頃から無条件に信じていたことはありました。
それは、今の自分にはそれが結果的に何につながるのかはわからなくても、今与えられていることは私にとって最高最善なのだということ。
だから、そのことが結局何につながるのか・・・・・・その時にはまったく見えていなかったとしても、今、自分に与えられたことに対しては一生懸命取り組んで、その中から学び氣づきを得ようと思っていたということです。
ただ、与えられた役割だからと、誰かからやらされている意識で取り組んでいたとしたら、そこから本当に得るべきもの、与えられたガイダンスはなかなか見えません。
当時は誰かにさせられてやっているのではなく、主体的に捉えて、どうすればさらにいいものになるか?クオリティを上げられるか?に意識を置いて取り組んでいた様に記憶しています。
会社にいた頃、周りの人は大まかにいうと2つのタイプに分かれていました。
やらされている意識で何となく与えられたものをやっている人と、すべてを主体的に捉えて自分の仕事のクオリティを上げることが結果的に全体の向上につながることを意識して仕事を行っていた人。
前者の方が割合的に断然多かったですが、中には後者の人もいらっしゃいました。
前者の思考の人は、後者の思考で働く人のことを何かと疎ましく感じるものの様で、特に若い頃はよく阻害されたり嫌味を言われたりしたものです。
後者の思考で働いている人は、一様に会社の中の自分というよりも、もっと大きな、ある意味で自己拡大した視点で自分のことや周りのことを捉えていた様に思います。
移動前の職場の時に出逢う人たちは前者的な思考で働く人が多く、最後にいた職場の時に出逢う人たちは後者の思考で働いている人が多かったです。
それは、職場を変わることになった当時の私の認識に、劇的なイノベーションがあったからです。
人はすぐに目の前のことに結果や意味を見出だそうとしますが、人生という大きな流れの中で見た時にはじめて見えるものもあります。
ですから、人と比べたりせずに、今の時点でそれが何につながるのかは分からなくても、今の自分にやって来ていることに懸命に取り組んでいれば、その時点では見えていなくても、やがて流れの全容が見えてくることがあるのです。
これは、ある程度の年齢になって経験をしてきたからこそ、より明確に解るようになったことでもあります。
その頃のディバインセルフからのガイダンスによる声の出し方の習慣化が、こんな形でつながって後々活かされて役に立つとは・・・・・・当時はまったく思ってもみなかったことです。
私自身、パーソナリティになってはじめて、その意識化が成果として結果を出していたことに氣づいたんですよね・・・・・・遅れ馳せながら。
自分にとってはあまりに当たり前になり過ぎていて、氣づかなかったというか、認識していなかったんです。
この方法を意識して習慣化出来れば、大きな声ということではないけれど、ハッキリとお相手に届く通る声で話せるようになります。
お相手の心により沁みる声、伝えたいことが明確に伝わる声になります。
今日、お越しになられた方には簡単にレクチャーしました。
すべては意識ですから、自分がどういう意識で取り組むか、時間を過ごすかによって自ずと結果は変わってきます。
努力しなければならないと言っているのではありません。
むしろ、努力しようとしてするのではなくて、何をする中にも楽しみというのか、面白味を見つけて取り組むか否か・・・・・・だと思います。
努力しなければならない・・・・・・として行うことって、どこかにやらされている感があり、結果的にそこに苦痛が伴うので収穫できるものが少ないと感じています。
面白味を見つけて取り組む、行うことというのは、主体的に行うので、何をしてもその中から氣づくことがありますし、それが結果的に非常に効果的な学びとなるのですね。
人間ってすぐに何に対してでも意味や結果を求めようとします。
ですが、そういうことから意識的に離れてみると、今まで見えなかったことが見えることもあります。
たとえ、今の時点ではすべてが全容が見えていなかったとしても、いつか見えてくるでしょう?
自分としては楽しいけれど、短期的観測で眺めたら、それが何になるの?意味あるの??本当に続けていいの???ということも、長期的な視点で眺めてみると、すべてが上手くつながっていた・・・・・ということは結構ありますよ。
お若いと色々と短期的に結果を求めたくなるのもわかりますが・・・・・・結果よりもプロセスやそれを行う時のハートの感覚をちゃんと感じてあげて欲しいです。
そして、少し長目のスパンで物事を捉えてみるといいかもしれません。
・・・・・・とんでもなく長くなってしまったので一旦ここで。
まとまりなくてごめんなさいm(_ _)m
さらに続きます。
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