4月30日満月⇒5月15日新月 ~2011年から7年あまりのプロセスの総決算的な今を感じる時~
私は今のところ、対面以外ではお電話でご相談をお受けしています。
5月に入る直前の4月30日の満月の日から、もうここ6年余りのお付き合いのクライアント様から久し振りにお電話でのご相談を承り、都度かなり長い時間をかけて現状分析、心の整理整頓、現実を乗り切るためのアドバイス、氣づきの促進的なお話をさせていただく流れとなっていました。
それは、ある意味で自分自身のプロセスの最終局面と大きくリンクしているようでもあり、日々そのエネルギーの解放と向き合っていました。
それは、5月15日の新月の前まで続くのだろうな・・・・・・と感じていたら、やはりそうなり、新月直前に大詰めを迎えて終息しました。
そうだろうな・・・・・・とは思っていましたが、本当にそうなったので、驚きと共にやはりプロセスの最終局面における確認なのだと確信が持てました。
こうして、プロセスを信じる様に事が起こり、内面世界の変容を見せてくれます。
今、自分自身がとても大きな変わり目、転換点の最中にあるのを感じますし、周りの方の中でも転換点、ターニングポイント的なタイミングを迎えている方が多いなぁと思います。
また、新たに歩を進める決意をされる方もいらっしゃいます。
自分の内側での信頼感や安定感が増していると感じる方も多いのではないでしょうか。
私自身も4月の半ば頃から環境的、内面的な変化を体験していました。
そこからの4月30日満月⇒5月15日新月の流れ・・・・・・この半月ほどの期間に一氣に普段の1ヶ月分の何倍かの収入がきました。
今回は臨時的なものですが、今回のことで私の中の受け取りの枠が拡がった様に感じます。
そういう意味でも今回の流れはかなり大掛かりだったなと思います。
さらに大きな流れといいますか節目としては、2011年8月にインドに渡り、概念の神ではなく内側に在る神との合一を感じたこと。
そして、その体験へと導かれる前からはじまった、『私は意識そのものです/I AM THAT I AM』つまり意識の分離から統合・・・・・・すべてがありのままで完璧、そこに抵抗している自分という意識をさらに意識的に見つめて受け入れてゆくプロセス。
今この時に体験していることは、その7年余りの統合のプロセスの最終局面という感じがしています。
過去から自分の中にあった『何かをしているから存在を許される』 ⇒ 『何も出来なければ存在する価値がない』という存在貧乏マインドから、『ただ存在するだけでいい。どんな私でも無条件に愛されている』という存在リッチマインドへの変容のプロセスを体験して来ました。
それを体験として腑に落とすために、私は会社という社会から離れる必要があったのだな・・・・・・と、今になって思います。
人によって進む道筋は様々でしょうが、概ねの流れとしてそういった手放し、解放、統合のプロセスを体験している人が多いのではないでしょうか。
統合のプロセスの中で氣づかせていただいたこと、知識から智慧へと昇華されたことを今このタイミングにセッションの中でお伝えすることになっていることも、ただの偶然ではなく必然的に起こっていることなのだと感じています。
そうした流れの中、2011年からのひとつの段階の最終局面を迎えていると思われる今、自分自身を尊重することの大切さを切に感じています。
自分自身を本当の意味で大切にしない時には、目の前の方のこともどこかで蔑ろにしていたり軽んじていたりするのだと思います。
自分自身を尊重することと周りの人たちを尊重することはイコールなのだなぁ・・・・・・と本当に心からそう思います。
私は長らく自分自身が何を欲しているか、何を求めているかではなく、周りの人(主に母親)のニーズを優先する生き方をしてきました。
父と母の心のすれ違い、不調和を哀れみ、長女である私が何とかしなければ・・・・・・助けなければ・・・・・・という想いをまず第一にして物事を決めることを常として生きていました。
ふたりとも大切だから、ふたりの間の調和、バランスを取ることばかりを優先し、自分がどうしたいのか、自分が何を求めるのか・・・・・・は二の次、三の次になっていってしまう。
その様にして自分の感情を明確にすることに蓋をし続けていたので、自分が一体何のために生きているのかが次第にわからなくなっていきました。
長らく、私は親にとって都合がいい人間だから存在に価値があるのであり、もし何も出来ない、貢献することができなければ存在する価値や意味がない人間なのだろう・・・・・・と思いながら生きていたのです。
そうした強固な思考信念の癖を抱えた私が、自分自身の存在を肯定的に捉えてゆく流れは、見えざる手を感じざるを得ないものでした。
自分自身を大切にしない在り方では、周りの人たちも自分自身もどちらも幸せにはならないことに次第に氣づいていったのも、自分という感覚を越えた所からの働きを薄々感じていたからです。
スピリチュアルな世界、精神世界という業界のことなどほぼ何も知らず、自己探求の中から自分自身ではわからない大きな流れへと誘われてゆくのを感じつつ、その中で激動の変化・変容を遂げてゆくこととなった私・・・・・・。
それまで自分でコントロールすることができるのだと勘違いしてもがき苦しんでいたことが、実はそうではないのだと氣づいてゆく人生の大きな流れは、その当時の私にはまったく見えていなくて、ただ闇雲に心の赴くままに見えない何かに導かれる様にしてここまで来たのです。
自分で選択している(と頭では思っている)のですが、決めたことも決めないことで選んだことも、すべて見えない大きな手のひらで転がされてここまで運ばれてきた様に思うのです。
どうして自分は人間としてこの人生を体験をすることを選んで生まれてきたのか・・・・・・なぜ苦しまなければならないのか・・・・・・苦しみはなぜ生まれるのか・・・・・・。
早くから大人にならなくてはならない環境の中で、子供の頃からその様なことばかりを考え、考えても出る訳のない答えを模索し続けていました。
社会の中の軋轢に耐えかねて死ぬことばかり考えていたあの頃は、肉体としては生きていたけれど精神は生きているとはいえなかったし、囲われた枠の中で自分自身で自分の人生を選ぶことの自由を奪われて、すべてに対して無氣力で心の奥底にとてつもない絶望感と怒りを抱えていました。
そうした体験の中で知識から入ることなく宗教やスピリチュアル、精神世界とは無縁・・・・・・ノースピリチュアルで自分の内面世界の探求がベースとなっていることは、私にとっては最適な流れであることが今ならばよくわかります。
もちろん、当時はとてもとても困惑していましたし大いに抵抗しましたよ(笑)
母の病氣による闘病生活からさらに加速していった自分自身と向き合うプロセスは、タイムリーな本との出逢いや実生活の中での実践を経て、同じ星からやって来たメンターのご住職より精神性を磨くために必要なことを教わり、たくさんのことを情報として授けていただきました。
それらの情報、エッセンスは私の中で点として散在していましたが、その点が、旦那さんとの結婚でパートナーシップの中で自己存在の肯定がなされて内なる男性性と女性性が統合されて癒されてゆく中で次第に内側で線となってゆきました。
そして、インドでのアバターとの出逢いにより会社を離れ、統合する方向へとシフトしてゆき、点から線となった知識が叡智とつながり智慧へと昇華され、すべてとのつながりを思い出していったのです。
そうした流れのお陰で今、その頃には見えていなかったすべての糸が織り成しているつながりがはっきりと見えてきたのを感じています。
人生って凄いですね。
本当に何が起こるかなんてわからないし、想定外のことしか起こらないです。
人生について投げやりで無氣力、自分では何も出来ることはないのだと思っていた10代、20代の頃の私。
その頃の私には考えもつかない今を生きています。
ここ最近新たに整体にお見えになる方との繋がり方が神縁としか思えない繋がり方で、本当に色々なことを見せていただいているのを感じます。
マインドがどの様に考えたとしても、私という個の意識がどう思っていたとしても、起こることはすべてがそのままで完璧なのだと。
様々な流れがここに来てつながるので、疑う余地もなく信じざるを得ないというのか。
すべてが完璧なタイミングで訪れているのを今はとても強く感じていますので、クライアント様と共に心を紐解くプロセスは、お互いをさらに自由に解き放つものなのだという深い確信を以てお時間を共にすることが出来ています。
自分の中でのすべてへの信頼感がこれまでとは大きく違ってきているのを感じます。
多くの人と感覚が違っていること。
普通の人が出来ることが出来ないこと。
忖度して人と合わそうとしても
結局上手くできないこと。
変わった人だと思われてしまうことへの怖れ。
常識から外れることへの怖れ。
ネガティブなことを
感じることへの抵抗や罪悪感。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
子供の頃から変な子供で、いわゆるインディゴ・チルドレン的な素養が多々ありました。
周りの子達と全然違う考えで生きていたので、苛められたり、無視されたり、時に苛められている子を助けようとして逆にその苛められていた子から裏切られたり・・・・・・。
純粋に生きようとするとそれをへし折ろうとする存在によって叩かれていました。
しかし、そうした存在の表面的な行動と背後にある行動原理、動機に氣づいてしまうので、その人たちのことを責めることも出来ず、自分の感じる怒りや悲しみとそうした人たちから感じる心の苦しみとの間で板挟みになっていました。
なので、ずっと自分を護るために人との係わりを最小限にしていました。
けれども今、これまで自分という感覚によって縛られていた多くの見えない鎖から完全に解き放たれた感覚です。
何かが瞬間的に変わったということではなく、人生のプロセスの中でことある毎に自分に課していた鎖を見つめて氣づいて手放していった結果としての今があります。
会社を離れてからのこの7年余りの時間の中では、時にプロセスを早めて一足飛びに進みたい!という衝動に駆られたこともありました。
どうして自分が今のような状況となっているのかの明確な答えや意味を探していたこともありました。
しかし・・・・・・そうした何かを探し求める様な氣持ちがいつの間にかスルリと解けていました。
何かを求める想いから解放されるのと同時に、自分自身の人生のプロセスをより一層信頼する想いへとフェーズが変わっていました。
今までの人生のプロセス、そしてこれからの人生のプロセスのどちらも自然と信じる氣持ちから、より深い確信をもって信頼することが出来るようになっていました。
様々な体験を通して見えてきたこと。
人には人の進み方があり、自分には自分の進み方がある。
それはとても当たり前なことで、誰とも比べようがないものなのです。
しかし、時に比べることで焦ることも自分自身の状況を整理し切れずに悩むことも何も悪いことではなくて、そうした様々な思い・・・・・・ポジティブもネガティブも分け隔てなく共に在ればいいのだと心から思えるようになりました。
他の誰とも違う、自分自身・・・・・・自分自神としての在り方・・・・・・。
子供の頃、本当はとてもユニークな考え方、独特な感性を持っていたのに、空氣を読んで常識的であれという価値観の中で育った私は、自分の持っている質と育った環境との間に通常では考えられない位の大きなギャップがありました。
ギャップが大きいが故に苦しむし、だからこそその環境の中において最終的には多くの実りを得る、そのことを自分自身が信じることがテーマな人生を選択して来たことは数秘術で見ても明らかでした。
自分のことを宇宙人というか、どこか違う所から来た様に感じていました。
そのギャップから生じた癖から完全に脱するのにもとても時間が掛かりましたが、そうした体験のお陰様で今の私があります。
ただ起こること、起きていることを事実として受け取ること。
誰とも違っていていいこと。
皆と同じ様に振舞わなければならないと思わなくていいこと。
自分の中にある社会、常識という名の概念からの脱却。
すべては自分の内側に在る・・・・・・
自分が自分の人生の主である・・・・・・
そのことをただ思い出すだけで、本当のことはとてもシンプル。
私が体験してきたことをお伝えすることが何らかの働きを為すのなら、過去の情けない自分のお話、お恥ずかしい話も積極的にお伝えしようと、より一層思う様になりました。
一見とても複雑に見える絡まった糸を解くだけで、生命が本来の輝きを取り戻して輝きはじめることを、ご縁ある方にお伝えできればと思います。
そして、これからをより楽しくクリエイティブに生きるためのお話をしたいと思います。
~with all of my heart~
Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)
セッション&ワーク&講座メニュー
Soul Creation Artist 眞穂乃-MAHONO-
まほのPresents!
Shining Star☆Blossom
第1~第4木曜日 20:00~20:30