覚書:相手の世界観に合わせる必要はない

 

 

 

 

ブログの更新、ちょこっと間が開いてしまいましたね・・・・・・。 

 

3月末あたりから4月に入った頃まで、頑丈な私が体調的に微妙でしんどいことが続いていました。

 

原因があってのことだったのですが、書いてスッキリとしておきたいので、自分自身の覚書として書きますね。

 

まぁ、ちょこっとディープなお話で長文ですので、お時間のある方はよろしければお読みください。

 

 

 

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互いの想いや主張は違ったとしても、

 

それでも尊重し合えるのだと

 

勝手に思っていました。

 

 

 

でも、違っていた・・・・・・

 

それは私が、

 

私だけが勝手にそう思っていただけでした。

 

 

 

影で悪魔だとか何とか・・・・・・

 

それを旦那さんにも吹き込もうとしていて・・・・・・

 

いやいや中学生日記!?って・・・・・・

 

あまりに情けなさ過ぎて涙がでそうでした。

 

 

 

私が悪魔だって旦那さんに告げて、

 

間違った心を改心するようにだって・・・・・・

 

そしてお祈りをするとか何とか・・・・・・

 

 

 

頼んでもいないのに勝手に祈らないで・・・・・・

 

 

 

私は人間なので、

 

何も間違いを犯さないとも言えないし、

 

もちろん完璧ではありません。

 

 

 

それどころか・・・・・・

 

落ち度満載の人間です。

 

 

 

空氣とか全然読めない人ですし。

 

 

 

だからその方たちから見れば、

 

私の言動がその様に映るのでしょう。

 

 

 

自分たちの正しい、

 

正しくないのジャッジの枠の中で

 

私を悪魔だと揶揄してきた・・・・・・

 

それはもうこの際どうでもよいのですが。

 

 

 

そんな観点でしか話ができないのなら、

 

人を見ることができないのなら・・・・・・

 

もう何も話すことなどないし、

 

勝手にそう思ってくださればいい。

 

 

 

それについてはどうでもいいのだけど。

 

 

 

私は悪魔呼ばわりされているのを

 

側で聞いていたのだけど、

 

その時に不謹慎にも笑ってしまった。

 

 

 

・・・・・・本当にもうね、

 

情けなさで涙が出そうで

 

笑うしかなかったのだけど。

 

 

 

その日から相手の方からの念・・・・・・

 

サイキックアタックに苛まれていました。

 

 

 

これは本当に参りました・・・・・・。

 

 

 

普段はここまで受けることはないのですが、

 

今回は本当に強烈でした。

 

 

 

あまりの体調の悪さに

 

予定して楽しみしていたセミナーも

 

急遽キャンセルすることになりましたし、

 

体調がとんでもなく悪化し、

 

その上に靈がいらっしゃる時や

 

サイキックアタックを受ける特定の部位に、

 

これまでとは比べ物にならない位の

 

痛みと痺れと動かしづらくなる

 

という症状が現れました・・・・・・。

 

 

 

それがサイキックアタックであるのは、

 

祭壇の前でしばらく横になると消える

 

ことからもハッキリとしていました。

 

 

 

祭壇の前で眠る日々が続きました。

 

 

 

けれどこの現象が強く現れているのは

 

お相手の問題ばかりではなく、

 

自分の中の何らかの未昇華の感情が

 

反応しているのだということだけは

 

氣づいていたので・・・・・・

 

自分の中の何が反応しているのかを

 

どうか氣づかせてくださいと

 

ディバインにお願いしていました。

 

 

 

ある日、

 

祭壇の前で横になっている時、

 

ふとした瞬間にそれはやって来ました。

 

 

 

自分のことを

 

悪魔呼ばわりされているのを

 

間接的に聞いている時、

 

その時に感じた痛みがありました。

 

 

 

それが情けない・・・・・・という

 

相手に対する憤りの感情でした。

 

 

 

どうしてそこまで態度を

 

豹変することができるのか???

 

どうしてそういうことを

 

相手に言うことができるのかが

 

私にはまったくわからず・・・・・・ 

 

まったく理解することができず、

 

とても情けなくて・・・・・・

 

一方的に揶揄されたことが悔しい

 

という憤りの感情だけがありました。

 

 

 

けれどその時は私自身、

 

そんなことを感じることすらも

 

その方に屈するようで

 

嫌だったのでしょう。

 

 

 

その感情に素早く蓋をしていました。

 

 

 

そんなことを言われても

 

私は私として生きているだけなので、

 

氣にしない!!!負けない!

 

平氣だし大丈夫!

 

という強い感情がありました。

 

 

 

そんなことを平氣で告げるような人に

 

屈する訳にはいかない! 

 

私は負けないから!!!

 

と、無意識に自分を護る

 

体制になっていたのです。 

 

 

 

しかし・・・・・・

 

そうして臨戦態勢になることが

 

相手と同調していることとなり、

 

相手のエネルギーと同じレベルに

 

落ちてしまっていたのです。

 

 

 

だから要らないもの・・・・・・

 

サイキックアタックを受け取ることになるし、

 

なかなか解決しなかったのです。

 

 

 

ところが・・・・・・

 

この洞察がやって来た時から、

 

症状は少しはあるものの

 

これまでとは比べ物にならない位

 

受け取らなくなったのです。

 

 

 

心の痛みをちゃんと感じて

 

体験することを・・・・・・

 

そのままその感情に留まることを・・・・・・

 

天へと昇華してゆくのを見届ける

 

ことを疎かにしていたのですね。

 

 

 

感じた心の痛みを

 

しっかりと感じてあげないと・・・・・・

 

溜まって歪んだエネルギーが

 

いつまでも自分を苛むことになることを、

 

今回身を以って体験させられました。

 

 

 

サイキックアタックにしても、

 

受け取る側に同調する部分が

 

何も無ければ受け取りようも

 

ないのですが、

 

お相手に同調していると、

 

受ける影響が大きくなることは

 

往々にしてあると思います。

 

(そういうことばかりでないのが

 

靈的な症状の複雑な所なのですが)

 

 

 

どんな感情であれ

 

自分が本当に感じていることを

 

ひとりぼっちにしないでいようと

 

改めて思いました。

 

 

 

その体験と氣づきがあってから、

 

より意識がフラットになった

 

感じがしています。

 

 

 

分離と統合を第三局の視点から

 

見ているような感覚というのか・・・・・・

 

 

 

だからね、

 

どんなことも自分の氣づきを促すための

 

糧にすることができるんだと

 

改めて教えていただいたようです。

 

 

 

大きな痛みや代償を伴う体験というのは、

 

私たちを大きく変容させてくれるチャンス

 

なんですね。

 

 

 

それがあったから自分の眼が開かれたし、

 

自分の感覚がどれほど変容しているのかが

 

認識できたということもあります。

 

 

 

通常の人間の認識では

 

まったく善きことではないことも

 

第三局の俯瞰した視点から見れば

 

すべてがギフトということなんですね。

 

 

 

・・・・・・とんでもなく強烈でしたけど。

 

 

 

相手がこうだから、ああだから・・・・・・

 

という観点でいればいつまでも同じです。

 

 

 

私は天使も悪魔も両方を内在している、

 

聖も悪もすべてを内包する人間です。

 

 

 

どちらも在る中で光を見つめ

 

燈明となることを選んだ人間です。

 

 

 

誰かに依存するのではなく

 

自らの光を以って道を歩こうと決めた

 

ただの人間です。

 

 

 

仮に私に悪魔を見たのだとしたら、

 

それは私の問題ではなく・・・・・・

 

そういう鏡で世界を観ている

 

ご自身の問題なのだと思います。

 

 

 

だから相手がそう仰ったとしても

 

あなたはそう捉えるのですね・・・・・・

 

ってことで放っておけばいいなって。

 

 

 

相手の世界観にわざわざ合わせる

 

必要性なんて何もないのだから。

 

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

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