すべてを糧として生きること

 

 

 

 

言葉って難しいですね・・・・・・(。σω-。)⋆*ೃ:.

 

本当にその方のことを慮るつもりでかけた言葉であっても、結果的に相手を傷つけてしまうこともありますね。

 

そういう時、本当に切なくなります。

 

 

 

私は人生の長い時間を、相手を傷つけたくない・・・・・・と思いながら、人との関わりを最小限に留めようとしてきました。

 

けれども、人と関わって行くということは、そういう体験の繰り返しで、そういう体験の中で相手を知り、自分を知ってゆくものなのだと思うようになりました。

 

誰も傷つけなくない、自分も傷つきたくない・・・・・・だけと、そこで立ち止まっていても、何もわからないな・・・・・・とも思うのです。

 

だからこそ、もしも最初から相手を傷つけようとしていた訳ではないけれど結果として傷つけてしまったとしても、その体験を無駄にはしないように、その体験から少しでも学べる自分でいたいな・・・・・・と、心から思います。

 

そして、お相手に直接謝辞を伝えられるか否かはともかくとして、自分自身の言動をいつでも省みることを忘れないように・・・・・・と思います。

 

開き直るのではなくて、ちゃんと『ごめんなさい』と言える自分でいたいなと思います。

 

 

 

明らかに失言・・・・・・ということも、もちろんあるかもしれません。

 

しかし、どれだけ氣をつけていたとしても、それぞれ人によって認識が異なっている訳ですから、そういうつもりで発したことではなかったとしても、受け取る側がどの様に捉えられるのかはわかりません。

 

氣づかないうちに自分の言動が相手の心に刺さってしまうことは、どんなに正しいことをしていると思っていたとしても必ずあることです。

 

自分が正しいと思うが故の言動でも、それが客観的に見た時にどれだけ正論であっても、お相手が受け取れない状況にある場合には凶器にもなり得ます。

 

お互いのベクトルが違うので、キャッチボールにならないこともあると思います。

 

人それぞれに考え方は違う訳で、それぞれの立場でそれぞれに正しいのだから。

 

不用意に自分の中の正義で人を追い詰めてはいけないな・・・・・・氣をつけたいな・・・・・・そんなことを思いました。

 

 

 

言葉って難しい・・・・・・

 

けれども、体験の中で学んでゆくことを怖れてばかりでは、いつまで経ってもスキルは上がりません。

 

本当に誰かを傷つけたくないのであれば、逃げていてはダメだなと思うのです。

 

本当に傷つけたくないと思うのであれば、少しでもたくさん人との関わりを持ってゆくことなのかなと。

 

人との関わりの中で色々なことを感じてゆくことや、自分自身のことをもっと知ってゆくことが必要なのだと思うのです。

 

誰も傷つけなくないからという理由で閉じ籠もるのでは、いつまでも同じことの繰り返しでしかありません。

 

 

 

言葉は人を傷つけてしまうこともあるけれど、勇氣を与えることもできるものだから。

 

立ち止まらないで、躊躇わないで、勇氣を出して歩き続けよう。

 

コミュニケーションを大切にしよう。

 

昨日傷つけてしまった人から教えて貰ったことを糧に、明日は誰かに勇氣を与えよう。 

 

それが、きっと今の自分にできること。

 

 

 

私たちの鏡として現れてくれた人が、身を以て教えてくれたことに対して、真心からの『ありがとう』を忘れずに、挫けないで、躊躇わないで、前へと歩いて行くことが、最大限の感謝の心の表現になるのかなと思っています。

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

 

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