宇宙的元旦な春分を越えて ~これまでのこと、これからのこと~
宇宙的な元旦な春分を越えて
何だか色々ありながら春分を迎えましたが、氣づきがあったのはとても深い内面的なことで、現実的なことは至って普通の日常です。
旦那さんと過ごす日常。
ワークなどをしようという氣にならなかったので、何の特別なこともなく、ただ穏やかに静かに迎えて過ぎました( 〃▽〃)ハハハッ
先日の母方の先祖の解放ともリンクしている部分もあるのですが、旦那さんとの関係の中で氣づかされたことについて記しておこうと思います。
子供のままでいられなかった少女時代
私は環境的に早くに大人にならないといけないと思ってしまった子供でした。
元々は天眞爛漫で無邪氣そのもので、ワンダラー的な記憶・・・・・・地球の変容のために働く!!!という思いがすごく強かったのですが・・・・・・
環境要因で、そういう自分のことを隠さなくてはならなくなって、そういう思いはあっても、自分にはことを成すことは無理なんだと思うようになってゆきました。
そして、世間のペースに巻き込まれるようになり、頑張らないといけない、頑張らなければ、役に立たなければ愛されないと思うようになりました。
そして、ちょっと変わっていて天然だった私が、そのままの自分ではダメなんだと思うようになりました。
不思議ちゃんのままではダメたから、何とか常識的になろう、無理して早く大人の対応ができるようになろう・・・・・・ちゃんとした人になろうとし続けてきました。
そこにはいつも今の自分には何かが足りていない、できていないという思いが前提にあり、その足りなさや至らなさを何とか埋めようと、無意識に頑張り続けていました。
でも、当然のことながらできないこともたくさんあります~~~
けれども、できる自分は当たり前とされ、できない自分を責めることが心の中で常態化していました。
本当はのんびり屋で頑張ることの苦手な私が、自分自身で『このままではダメなんだ』と叱咤激励し続けて、ずっと走り続けてきました。
まぁ、かなりの無理ゲーです。
結果、自分の人生を生きるための力はドンドンと削がれてゆきました。
やがて、生きていること自体に意味を見出だせなくなってゆきました。
どうして自分は生きているのか?人は何のために生まれて死んでゆくのか・・・・・・
そんな答えのない問いを、いつも自問自答している学生時代でしたね~~~(闇)
(表面上はそうでもないけど、内面はめちゃくちゃ陰氣で引っ込み思案な人でした)
大人になっても引き摺りながら生きる
そんな人間でも、社会的には精一杯頑張ればそれなりに何とかなり続けていました。
狭い社会の中ではありますが、会社の中では論理的に考えてマルチタスク的にやれていたので、自分はそういう人間・・・・・・マルチタスクで左脳的な人間なのだとずっとそう思っていました。
恐らく、周りの人たちも私のことを、根性があってマルチタスクで楽々と何でもやってのける人という様に見ていたと思います。
そう見えるように、めちゃくちゃ努力していたんですけどね。
けれど、努力していると解るのは美学に反するので、わからないように努力の跡が見えないようにしていました。
自分の努力が何だったのか・・・・・・思い知らされる
ところが、旦那さんと結婚してみると、旦那さんがナチュラルマルチタスク!
先天的に自然にマルチタスクでとても視野が広く、めちゃくちゃ動ける人でした。
旦那さんは本当にめちゃくちゃ自然に氣が利く人なんです。
色んなことが見えているんです。
何でもナチュラルにこなしていて、それがまったく苦にならない旦那さんを見ていると、自分がこれまでいかに無理をしてその役割を演じてきていたのかを思い知らされました。
私が彼と同じように行動することは、やろうと思えばできなくはないでしょう。
しかし、そのためには相当な努力が必要であり、神経をすり減らす様にして張り詰めていないと同じことができないのだとやがて悟りました。
旦那さんにはとても自然に当たり前にできることが、私にはとても同じ様にはできないことを思い知らされました。
旦那さんの言動を見ていると、自分が本当は自然にできるマルチタスクの人間ではなかったんだな・・・・・・本当はそうではないのに無理矢理そういう設定にして、役を演じていたのだなと思い知らされます。
無意識にですが、理想の状態になるべく努力に努力を重ねてそうしていたのですよ・・・・・・さすがやぎ座♑スピリッツ!ど根性ですね!
マルチタスクでテキパキとこなして行くスタイルに憧れて、理想の状態に在るためにとてもとても無理をしていたんだな・・・・・・頑張っていたんだな・・・・・・と、次第に氣づかされてゆきました。
誰もそんなこと頼んでもいないし、望んでもいないのに・・・・・・
そうでなければ受け入れられないし、認められないと勝手に思っていて、頑張っても自分が思うように認められなかったら、ドンドンと怒りを溜め込んで・・・・・・
そういう一連のこと、どこかでは氣づいていたけれど認めたくはなかったことを、どうしても認めざるを得なくなった時、それまでの自分の空回りの人生を振り返り、アホ過ぎて苦笑い・・・・・・(;^ω^)
めちゃくちゃ自作自演劇場過ぎて、滑稽過ぎて笑ってしまう(爆笑)
自作自演の末に・・・・・・ようやく手放せたこと
そんなアホな自分が長年握りしめていた思い込みが解かれると、そこにはただ愛されたいと願う小さな子供の私がいました。
ワンダラー的な性質が強くて周りの人たちと感覚が全然違っていたので、分離感が強くて孤独を深めていたのです。
誰にも本当の思いをわかってはもらえない・・・・・・それは一番身近な母親との間でもそうでした。
本当は愛されているけれど、愛されていることを感じられずに、孤独を感じて愛を求めて踞っている小さな子供の私。
ただ受け入れられたい、愛されたいと願う自分の本意を受け入れることは、愛されていないと感じることを認めることになるので認めたくなかったんですね。
この氣づきにより、これまでの私の古いアイデンティティは死を迎えました。
旦那さん自身が神様だった!
旦那さんとふたりで生きるようになって、ようやく自分の強さも弱さもどちらの私も受け入れることができるようになりました。
なので、旦那さんは神様だなぁ~~~と思うのです。
そうして旦那さんを神様だなぁ~~~と思うようになってから、周りの人たちもみんな神様なんだなぁ~~~と、段々と思うようになりました。
旦那さんは神様みたいな人です。
どんな私のことも、そのまま丸っと何の分け隔てもなく受け入れてくれました。
そこには何の条件付けもありませんでした。
私とは正反対の性質の旦那さんと共に暮らす中で、多くの氣づいていなかったこと・・・・・・無意識の言動に氣づかされました。
旦那さんと一緒にいることで、旦那さんの格別のやさしさに触れることで、これまでのように無理して頑張らなくてもいいんだな・・・・・・と次第に思えるようになってゆきました。
私は、本来の私、おっちょこちょいで天然で、直感と感性だけで生きている、だいぶ変人なままでいいのだと心からそう思えるようになりました。
無理して頑張って綺麗な部分しか見せないようにしていた時には、自分の中のスピリチュアルな感性は、とてもとても堅く閉じていました。
なぜならば、自分に向いていない生き方を全力でしていて、祖母や母がしていたように負の部分を無理矢理ねじ伏せていたので。
そこにものすごい労力を使っていたので、クタクタでそれどころではないというのか・・・・・・
現実を生きること以外の、精神の探求に割いているエネルギーがまったくなかったのです。
その時、その時の状況を乗り切るだけで精一杯でした。
きっと自分ひとりで生きていたならば、少なからずそういう状況が続いていたのだろうな・・・・・・と思います。
母の病氣をきっかけに少しずつではありましたが心の眼は開いてきてはいました。
けれどもいつもいっぱいいっぱいで、現実を生きることの方ばかりにどうしても意識が向きがちでした。
元々、超不器用なので、どちらかになっちゃうんですよね。
それが、旦那さんと共に生きるようになってから、精神的に非常に安定したこともあり、私の中の感性が加速度的に開いてゆきました。
無意識に張り詰めていた心が緩み、解き放たれたことで、自分を自分以上に見せようと頑張っていたことにようやく氣づき、そこから解き放たれました。
そして、自分を自分以上に見せようとしなくてもいいし、そのまま、ありのままで無条件に愛されることをはじめて知りました。
そして、これまでの私の古いアイデンティティは死を迎え、旦那さんの無償の愛のお陰様で新たに生まれ直すことができたのです。
ふたりで生きる上で大切にしていること
旦那さんとはお互いを大切に思う氣持ちや感謝をちゃんとお互いに口にして伝えています。
もちろん、時には意見の違いもありますが、自分が悪かったと思うことはちゃんと謝りますし、どうしてそういうことを言ったのか、そういう氣持ちになったのかを、ちゃんと伝え合って語り合ってきました。
そういうことってとっても大切だと思います。
それに、お互いのしようと思うこと、やりたいことを尊重しています。
勝手にするのではなく、どうしてやりたいと思うのか?など思いをちゃんと伝え合います。
相手を思い遣りながら信頼関係を深めてきました。
旦那さん自体が恩寵でした♪♪♪
旦那さんに出逢う前までは、外側の条件にどこか拘っていて、とてもシビアに相手を見ている部分がありました。
(何様だよ・・・・・・ですね(×_×))
ですが、妥協はできないと思っていました。
自分が心からこの人ならば・・・・・・と思う人でなければ絶対に嫌だとは思っていましたね。
旦那さんに出逢うまでに、色々な恋愛に対するジャッジする氣持ちを感じて解放してもいました。
何か知らないけどそういう流れになったからなのですが。
その中で、自分がいかに人を心の中で裁いていて、自分の中の正しさに拘っていたかに氣づいてゆきました。
私にとって旦那さんは、神様からいただいた最大のギフトです。
様々なターニングポイントがありましたが、旦那さんと出逢い、ふたりで生きることになったことが私の眼を開く大きな転換点となっています。
はじめて出逢ったのが11年前の3月19日でした。
長いようなあっという間のような11年でした。
これから大切にしてゆきたいこと
かつてメンターに言われた言葉
『この世は修行ではないよ』
かつて人生を修行なのだと捉え、耐え忍ぶしかないと思っていた時に言われた言葉でした。
本当に今、そう思います。
過去の記憶に関する色々な氣づきはこれからもあると思います。
それに関してこれからも書くことはあると思います。
でもでも・・・・・・
宇宙元年を迎えて、さらなるクウォンタムジャンプを迎えるにあたり、これまで残っていた修行モード的な感覚を脱ぎ捨てて、さらに軽やかに、晴れやかに、ゆるやかに、柔軟に生きます。
それと、(内面的に)ふらふらと何をするのかが一向に定まらない感覚なことを、これまでどこかで否定的に捉えていた所があったのですが、そうであるからこそ、筒に徹することができるのだしメッセージを純粋に受け取ることができる部分もあるのです。
それも自分の特質なのだと受け入れて、そのまま導かれるままにふらふら~~~と直感の赴くままに進もうと思います♪♪♪
宇宙の流れに自然に流されます^^
~with all of my heart~
Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)
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