潜在意識の自動的な働き5

 

 

 

 

 

lsm.hateblo.jp

lsm.hateblo.jp

lsm.hateblo.jp

lsm.hateblo.jp

 

 

 

潜在的な意識領域に溜まった感情エネルギーを昇華してゆくためには、感情を再体験して感情を味わうことが必要です。

 

味わいたくないから無意識にスルーする、蓋をする訳なので・・・・・・ここに向き合うプロセスは最初はとてもしんどいかもしれません。

 

抵抗がものすごくあります・・・・・・だって嫌だから、感じたくないから避けて蓋を頑丈にして氣づかないふりをしているので。

 

ですが、傷ついたインナーチャイルドを抱えたアダルトチルドレンの人の場合、向き合うことを避けていては本当の意味で楽にはなりません・・・・・・。

 

逃げても逃げても・・・・・・ではないですが、形を変えて同じようなことが起こり続けることになります。

 

心の中がジャッジだらけなので、人生において無駄に障害が起こり、そのことを自分で受け取れなくて、ずっと被害者意識で生きるとか、加害者(周りの大人、親など)を恨んで生きるとか、鏡の相手に共依存するとか・・・・・・そういう不毛な心を抱えて生きることになりがちです。

 

だから、しんどくても一度、自分の中の傷ついてうずくまっている小さな子供と向き合って、しっかりお話してみる・・・・・・向き合ってみることが、実は一番の近道だったりするのです。

 

その時、本当に感じたかった感情を認めて受け入れると、自分ではわからない何かに縛られていたものが解放され、とても楽になります。

 

 

 

とはいえ、溜まっている感情エネルギーの解放って、生きている限り続くというか・・・・・・人生のプロセスは続いてゆくものです。

 

ここまでやったから終わり!っていうことがありません。

 

潜在意識はひとつしかなくすべて共有しているものなので、自分の溜めている感情エネルギーを解放しようとして掘り始めると、どこまでもディープな世界です。

 

ここで短距離走者的に猛ダッシュして取り組んでしまうと、息切れしてしまう・・・・・・再び閉じてしまうということになりがちです。

 

人生はこの肉体が朽ちるまで続きます。

 

同じように人生において体験のプロセスは生涯続くもので、ここで終わり!ということがありません。

 

なので、時に立ち止まってもいいけれど、長距離ランナーのような感覚で、ずっと自分自身と関わり合ってゆくことを念頭に置いておくことが必要です。

 

私という感覚において大きな障害となっている溜まっている感情エネルギーを解放すると、感覚に大きな変化があり、それは自分の人生をクリエイトする上でとても有効です。

 

なので、ついつい自分で次々に掘り出したい衝動・・・・・・早く氣づいて解脱したい!早く終わらせたい!みたいな氣持ちになることも多々ありますが・・・・・・人生のプロセスって終わりなんてなくて、これで終わり!ってことはまったくないのです。

 

生きている限り色々なことを体験し、その度に新たな氣づきを得る・・・・・・そういうものです。

 

しかし、人間ってどうしてもわかったと思いたい生き物というか・・・・・・頭でわかったと思いがちな生き物なのですね。

 

解放を急ぎ過ぎる必要はなくて、解放に必要なタイミングは必要な時に訪れるものなのです。

 

意識を解放に向けながらも、必要なことが必要な時に起こるのだという宇宙への信頼を感じながら、委ねてしまうのが一番スムーズな方法です。

 

忘れていると、内観にばかり意識が向かい過ぎて心が疲れてしまいます。

 

 

 

お家の溝がドブ川化していたら、お掃除することは必要ですが、そればかりに意識が向き過ぎると、テンションが下がりブルーになりますね。

 

お家の中のインテリアを整えたり、DIYしたり、お花を植えたり・・・・・・嬉しく感じること、楽しいことも同時に行うと、また溜まる溝のお掃除も綺麗になったら嬉しいし楽しいと感じることができます。

 

毎日毎日、溝の汚れの掃除ばかりでも、そこに喜びを見出せる人はそれでいいと思いますが、大抵の人は最初は張り切っていても、次第に心が疲弊してくるので・・・・・・。

 

確かに、内観して自分の心の癖に氣づいてゆく、潜在意識の性質を知ってよりクリアにして人生をクリエイトしてゆくために、これまで溜めてきた感情エネルギーのお掃除は必要です。

 

ですが、それと共に自分の人生を楽しむ、周りも自分もハッピーになる言動を心がけてゆくことも、同時に行ってゆくことで、より循環がよくなるということはあるかと思います。

 

 

 

意識のことについても、あまり解放にばかり意識が向いてしまうと、それもそれで段々と苦しくなってしまう人もいるので、氣をつけないといけないと思っています。

 

何というのか・・・・・・内観病とでもいうのか。

 

解放にフォーカスするあまり、そこにばかり意識が向いて、もっともっと何かあるはずだ・・・・・・と突き詰め過ぎてしまい、次第に心が疲弊する感じです。

 

真面目な人は、内観の大事さを知ると特にそうなりやすいかもしれません。

 

しかしそれは、今ここですべてにおいて必要なことが起こっていて、すべて与えられているという「今ここがすべて」「すべて必要なことが既に与えられている」という感覚の欠如です。

 

言い換えれば、自分の中に欠乏感、不足感があって、それを埋めるためにすべての行動が、選択が行われている・・・・・・ということになります。

 

意識をすると解放されやすくはなりますが、必要な時に必要な氣づきが訪れるようになっているので、あまり突き詰め過ぎないようにした方がよいかと思います。

 

「もっともっと」「まだまだ」って思う時、その根底にあるスタンスが、今の自分を肯定した上でさらなる成長を求めるものなのか、それとも欠乏感、不足感を埋めたいが故の感情なのかをよく観察して知る必要があります。

 

 

 

f:id:LSM:20170217173016j:plain

 

 

 

溜まっている感情エネルギーの解放に何が必要なのかというと、ただシンプルに傷ついたこと、嫌だったこと、辛かったこと、苦しかったこと、本当は愛して欲しかったことを認めるだけです。

 

とてもシンプルなことのように思いますが、認めたくないからずっと隠そうとし続けてきた訳なので、立ち向かうには少し勇氣を出す必要があります。

 

愛されていないと感じることを認めたくないから、受け入れたくないから、自分の心に色々な言い訳をして、傷つくことを封印しています。

 

愛されたいと願う、愛されていないと感じる・・・・・・

 

とても大きな視点からすれば、どの様な状況も究極的には自分が選択してきていますし、すべてが愛なのですが・・・・・・状況が状況であれば、その様に思えなくて、葛藤、苦悩が人生につきまといますね。

 

ひどい状況を選んで生まれてきている人ほど、生まれる前のことをすべてを忘れてしまった幼ない私たちが、その状況をすべて愛だと受け取ることはとても難しいことです。

 

そして、自分の心を守ろうとする自動的なシステムとして、自分の心をの声を聴くことを止めてしまいます。

 

さらには周りから求められる自分を演じるようになるのです・・・・・・。

 

 

 

求められる自分像を演じ、必要とされることによってのみ自分の存在の価値を感じることができてきた人は、求められる、必要とされるであろうことを自分の意思関係なく役割として引き受けるのをひとまず止めてみることが必要です。

 

「こうしなければならない」と思っていて、その思考に縛られている行動を意識的に止めてみるのです。

 

もちろん、止めようとすると、心の中でものすごい抵抗感があると思います。

 

そうしなければ自分は愛されない、必要とされることでしか自分は存在価値が無いと思い込んでいて、そうしなければ自分の存在する意味がないと思っている訳なので。

 

認められたい、愛されたいというニーズに基づく行動を止めるためには勇氣が必要です。

 

一番最初はとてつもなく勇氣を振り絞らないとできないかもしれません。

 

最初、たくさん荷物が載った台車を動かす時、動くまでにはとても力が必要ですが、一旦動き始めると最初にかかった力よりはかなり楽~に動いてゆきます。

 

それと同じように、最初、いい顔をするために何でも引き受けている場合、それを断るのってものすごい勇氣が要りますが、一度かなりの勇氣を出してできたら、次からはかなりハードルが下がります。

 

一番最初はともかく心理的抵抗がとても激しいので、それだけ動かすのに力が必要だということを覚えておくと、抵抗しても当たり前なのだと、そういう状況も受け入れることがしやすいと思います。

 

 

 

f:id:LSM:20170216020213j:plain

 

 

 

潜在意識の中に溜まっている感情エネルギーが解放に向かうと、それまでは見えにくかった周りとのつながり、リレーションシップにより私たちは生かされているということが見えてきます。

 

私たちは個別に肉体を持っていて、それぞれの観点で人生を体験していますが、自分ひとりでは何も体験をすることはできません。

 

私たちはマインドの働きが優位な時、分離している感覚・・・・・・分離感をとても感じていて、孤独だと、自分はひとりだと感じます。

 

しかし、本来私たちは離れてはいなくて、本質的にはつながっています。

 

言葉で説明するのはとても難しく感じるのですが・・・・・・この世界は自分だけで存在することなどできません・・・・・・。 

 

内的な自分を多角的に知るためには、外側で人と関わってゆくことが必要です。

 

私たちはひとつのパーソナリティで生きていると思っていますが、実際には内面にたくさんのパーソナリティが存在し、状況によってそれがコロコロと入れ替わっています。

 

そして、そういう自分のことを知るためには、外側の人・・・・・・外側のたくさんのパーソナリティに触れることがとても有効なのです。

 

人は人の中でしか磨かれません。

 

自分ひとりで考えることは、どこまでいっても自分の想定の中でしかありません。

 

多くのパーソナリティに触れることで、自分の内側のたくさんのパーソナリティ・・・・・・自分自身でも知らなかった一面、氣づかなかったことに氣づかされてゆくのです。

 

 

 

自分のこれまでの交友関係を考えると、とても閉じた狭い世界に生きていた様に思います。

 

人には個性がありますから、とてもたくさんの人と触れ合いながら生きてゆく人もいれば、少し狭めの人間関係の中で密な触れ合いの中で生きる人もいます。

 

どちらがよくて、どちらが悪いということはありません。

 

しかし、私に今、ラジオでパーソナリティとして人のお話をお伺いする機会が訪れているのは、きっと今まで出逢わなかった業種や同業でもこれまで知らなかったたくさんの人ともっともっと触れ合いなさい♪♪♪っていうディバイン(聖なる存在)からのエールなのかな、と思います。

 

 

 

どこまでも話が続きそうなので、この話はこの辺りで一旦置きますね。

 

 

 

 潜在意識の自動的な働き

 ~Fin~

 

 

 

 

f:id:LSM:20160826165253p:plain

 

~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)