伯母とのお別れで氣づかせてもらったこと
伯母の葬儀のため、香川県に帰っていました。
伯母は清々しく人生をまっとうしたからだと思われますが、今生を終えることに何の後悔もないみたいでした。
だから、葬儀会場に到着するまでに意識を向けると、伯母が身体を離れて軽く自由になって『わーい』って感覚でふわふわしているのが見えました。
・・・・・・旦那さんは肉眼で見えるのですが、私は肉眼の目で見えている訳ではありません。
それが”わかる”というこの感覚を説明するのはとても難しいことです・・・・・・。
親族の者たちは、私や旦那さんがそういうことをわかることを知りません。
なので、本当はそういうこと・・・・・・伯母がまったく後悔を残さないで今生の生命を離れたことを叔父には伝えたかったのだけど・・・・・・
そういう話を受け入れることはない人なので・・・・・・そのことを示唆するようなことだけ告げました。
仕事の都合でどうしても通夜には間に合いませんでしたが、通夜のその日の夜は明け方までずっと、伯母と同居していた叔父と私の弟と色んな話をしました。
その中で私の母の話も出たりして、懐かしく色々と想いを巡らせながら話しました。
叔父とうちの亡くなった母は3歳違いなので、比較的一緒に遊んだ記憶が残っているそうです。
初めて聞く話だったのですが、子供の頃、うちの母は物語を即興で作るのがとても得意だったそうで、いつも近所の子供を集めて即興の物語を披露していたのだそうです。
物語をその場に集まった子供の名前を織り込みながら即興で作ってゆくのだそうで、叔父は子供ながらに夢中になったものだと、とても懐かしそうに話していました。
何度も何度も「あれは本当におもしろかったなぁ」と話していました。
うちの母方の祖父は、頭脳明晰で絵画をとても上手に描き、書をたしなみ、歴史に長じていたそうですが、視力がとても弱い上に身体が弱かったこともあり早世しました。
祖父が亡くなったのは、母が小学校5年生の頃だったと聞いています。
叔父曰く、頭脳の明晰さは自分が少し貰っているが、祖父の持っていた才能を一番引き継いでいたのは間違いなく母だったと話していました。
母にそんな才能があったんだ・・・・・・私は母のそんな話を聞くのは初めてのことでした。
まったく同じではないけれど、自分の中に母から受け継いだものがあることを感じ、とても嬉しくなりました。
それに、叔父と話している中で解けたことがありました。
まぁ、本当に自分の中の納得の問題なのですが・・・・・・自分史上最大の解放といってもいい位のレベルのものでした。
過去の私はずっと母の言いつけを守らなければ・・・・・・守れない自分は駄目な人だと思っていたのです。
しかし、できなくて当たり前だった・・・・・・
宇宙的感覚の人間が閉塞的地球的感覚を押し付けられたなら・・・・・・それは、とんでもなく生きづらいし、感覚がおかしくなって然るべきだったのだから。
過去、そういう自分を責めていたエネルギーの残りが昇華されてゆきました。
伯母とのお別れが、私の解放にもつながっていました。
死に対する感覚が、以前とはまったく変わってしまっているので、伯母の死についても他の皆のように嘆き悲しむ・・・・・・そういう感覚が一切ありませんでした。
伯母の魂が速やかに昇華されてゆくことを思い、伯母の亡骸の元に向かいましたが、先にも述べましたように、伯母は肉体を失ったことに対して一切の後悔や心残りがなかったので、すぐに昇華されてゆくだろうと思いました。
もう、肉体を持っている伯母とは逢えないんだ・・・・・・荼毘に付される時にそういう思いは湧き上がってきましたが、悲しむという感覚ではありませんでした。
生きていること、肉体を持って体験できることのありがたさや、有限さを感じました。
皆、当たり前のように生きているけれど、それは決して当たり前のことではない・・・・・・。
だからこそ、生きている今、健康な肉体がある今を楽しみながら生きることが本当に大切だなと思いました。
~with all of my heart~
Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)