2017年1月11日【1111】そして1月12日の満月へ ~今の眞穂乃が思うこと~

 

 

 

 

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寝ようと思っていたのに・・・・・・急にこれだけは!みたいな感じで書いておく必要があるようなので、走り書きのようで取り留めないですが、今思うことを書いてみます。

 

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私は色んな意味で見えるものと見えないものをつなぐ人です。

 

けれど、肉眼で何かが見えている訳ではありません。

 

ヴィジョンとして見ていたり、時にエネルギーがもやっと見えることはあったりしますが、目視でアセンデッドマスターや大天使が見えている訳ではありません。

 

大体、アセンデッドマスターや大天使など、高次の存在が絵に描かれていますが、ああいうのはその人のフィルタを通してそう見えるものを描いているだけのことで、高次元の方ってほぼほぼエネルギーなんですよ。 

 

私たちの側に姿があった方が都合がいいだろうという場合(そうでないと信じられない人の方が多数だから)、その人たちが望む姿が見える感じです。

 

私はそういう人型のイメージが浮かぶことはありますが、基本的に姿があってもなくても同じことなので、そこまで姿を見たり感じたりすることに執着がありません。

 

旦那さんも同じ見解で、旦那さんは見える人ですが、やはり高次の存在はエネルギー体なのだと話していました。


なので、見え方は人型ではないそうです。

 

アセンデッドマスターや靈は、傍にいらっしゃれば旦那さんは肉眼で見えているらしいですが、私は肉眼での目視はできません。

 

 

 

アセンデッドマスターが・・・・・・とか、靈が・・・・・・とか。

  

靈が自分自身の身体に憑いた時とか、人に引っ付いているのがわかる(見えているのではない)ということはあります。

 

靈が存在している場所の波動は通常と違っているので、その場所が肉眼で暗く見えるというのはあります。

 

行き掛かり上・・・・・・プロセスの中で、そういう存在・・・・・・靈を昇靈していた時もありました。

 

本当に必要な場合ってあって、そういう時はそのままにしてはおけないので致し方ないのです。

 

 

 

でもね、これって前から何度も書いていることかもしれませんが、そういうことを感じるとか見えるとか、昇靈的なことができるってことが大切な訳ではないのです。

 

自分が見えないとか感じないと、そういう感覚自体を全否定したり嫌ったりする人がいますが、本当は何も特殊なことでも何でもないのです。

 

今、必要があるか否か・・・・・・そういうのを使う前提とか設定で人生を構築しているか否か・・・・・・みたいなことはあって、必要がなければまったくそういうことを感じずに一生涯過ごす人もいるでしょう。

 

繰り返しますが、こういうシックスセンス的なことが大切な訳ではありません。

 

大切なのは、どんな自分も受け入れてゆくことです。


その過程でそれが必要か否かによってそういう感覚がすごくある場合とそうではない場合があるということです。

 

私たちは本来すべてなるものからバッチリ愛されているのですが、そのことに氣づいていないだけで。

 

そこの感覚をバッチリ思い出したなら、その愛を・・・・・・天の愛を体現して生きること、そのこと以上に大切なことはありません。

 

 

 

今までの私のように何かを感じるとか、そういった感覚を自分自身で認める、受け入れる部分にブロックがある人は、これまでそういう感覚を持っていることを認めたくないという体験をしてきていると思います。


それは、人との違いを受け入れる必要があり、みんな違ってそれでいいことを丸ごと受け入れるために必要だったからです。

 

人によって人生に何を設定してきているかって本当にバラエティに富んでいて、まったく同じことはありません。


けれど、現れる個性はそれぞれユニークでも根源のテーマは皆共通しているのです。



 

本来的に人間はシックスセンス的な感覚を誰もが持っています。


しかし、それも今生の必要に応じてものすごくそこが開く人もいれば、あんまり使わない人もいて。

 

けれど、開いている人はそこを体験する必要があるので、そういう設定をしてきています。

 

私はずっとそういうのが嫌で、できればそういうのをわかりたくない、見たくないと隠していた・・・・・・人との違いを認めたくないと思い続けていました。

 

でも、惹かれるのはそういう方面の人だったり、そういう出逢いが向こうからやって来たりしていました。


だから必然的にそういう流れになってゆく訳で・・・・・・



 

私の感じるものって、誰もお手本になる人がいなかった。

 

だから、自分の内側と向き合いながら自分自身でそこを地道に認めてゆくしかなかった。


感覚なんてみんな違うものだから、それは致し方ないことなのでしょう。

 

ずっと否定と肯定の間で葛藤していました。


けれど、そういう部分をいつまでも否定していては、本当の自分自身をありのままに受け入れることにはならなくて。


抵抗し続けたものの、最終的に受け入れざるを得ませんでした。

 

こういう感覚・・・・・・いわゆるスピリチュアルなセンスがある人のことを否定的に感じる人がいることも、わかり過ぎる位、わかっています。


過去生でもそれは強烈に絶賛体験済で、そこを越えて行かなければならなかった訳なので。

 

わかっているから、痛いほど身に染みてわかっているから、絶対に嫌だったし認めたくなかったのです。

 

中には好意的な人もいらっしゃるでしょう。

 

しかし、否定的な人が数多くいらっしゃるであろうことをわざわざ受け入れたくなんてない・・・・・・

 

そういう思いで長らく葛藤してきました。

 

 

 

けれど、もういいと思いました。

 

もし、こういう自分を否定的に見て拒否する人がいらっしゃるのであれば、それはそれでいい・・・・・・

 

それは自分にはどうすることもできないことだし、万人にいい顔をして生きることなどできないことだから。

 

私は私に正直であること以外に何もできることがありません。


私の中にはあることなのに、まるでないことのようにして、嘘をついていたくはありません。

 

他の誰かの顔色を窺いながら、誰に対してもいい顔をしようと努めながら、本当の自分を押し殺して生きるなら・・・・・・


私はいったい何のために生きているのかわかりません。

 

 

 

私がわかることなど微々たることです。


それでも、メッセージをお届けした方がご自分でご自身の心に氣づいて自らの足で歩き出すためのヒントにしていただいています。

 

それを隠そうと思わなくなりましたし、どう言われようが、否定されようが、どうでもいいな・・・・・・と思う様になりました。



 

これからって、益々同じ波動の人としか交われなくなってゆくのだと思います。

 

現実的に、昨年はそういう意味で、それまでは必要だったけれど、根本的なコンセプトが違っているため同じフェーズを生きられなくなった人との突然の別離を体験しました。

 

それには様々な側面で相応の覚悟がいりました。


それでも自分に正直に在ることを選ぶ流れとなり、やがてはものすごいスピードで離れゆくプロセスが起こりました。

 

笑ってしまう位、今の地球の流れとシンクロしています。

 

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この手放しがどれ位の覚悟を以ってできるかが、これからの流れを決めるのだと感じていました。


なので、それだけの覚悟をして自分たちで引き受けました。

 

エネルギーは新たな流れが来れば手放せばいい・・・・・・そういうことでは残念ながら新たな流れに乗るのは難しくなります。

 

どうしてかというと、手放したエネルギーの所に新たなエネルギーが入ってくる訳なので、先ずはもう必要でなくなったエネルギーを自ら手放してゆかないと、変容時のエネルギーの循環が滞ります。

 

つまり、もし怖れをベースにして手放すことを躊躇していれば、変容の大きなタイミングの波に乗り切れないということです。

 

 

 

だから、誰にでも受け入れて貰おうなどという甘目な考えでは、もう到底存在できなくなってきています。

 

いや、そういう考えの人はそれでいいのです・・・・・・同じ波動の人たち同士ご一緒してゆくだけなので。

 

でも、私はそういう考えでは存在できなくなっているのです。

 

これから先は、より他の誰かから見てどういう自分なのか?ではなく、自分がどう生きたいのか?どう在りたいのか?がより濃密に問われることになってゆきます。

 

そのことが問われ続けた2016年でしたし、2017年はその結果がより明確に出てくるでしょう。

 

問われ続けたことに向き合ってきたなら、自らの生きるミッションがより明確になり、その方向に向かうのだろうし、向き合わなかったのだとしたら、ずっと問われ続ける人生が続いてゆくのでしょう。

 

 

 

私は私以外になれないので、どんなに自分の持っているものを否定して嫌っても、違う自分になることなどできません。

 

なので、他の誰が認めてくれなくても自分自身は自分のことを認めてあげよう、私の持っている質を認めようと決めました。

 

そして、やっていることをどう思われようと、すべての人に理解して貰おうとは思わない、ようやくそういうスタンスに変わりました。

 



こういう、今のようなスタンスの仕事をこの先ずっと続けてゆくのかどうかはわかりません。

 

もしかしたら、諸々認めて受け入れることで自分の中のプロセスが収束し、新たにまったく違った道に向かうのかもしれません。

 

 

 

どちらになるにせよ、より生命に本氣に真剣に生きる方向に向かっています。

 

ですから、冷やかしや日和見的に関わってこようとする人や自分のことを大切にしない人とではなく、本氣で生きている人、真剣に生きようとしている人と関わってゆくことになってゆくのだと思います。

 

私は上下関係、トップダウン的な感覚ではなくて、よりフラットな感覚で人とかかわってゆきたいです。

 

そういった自らの思いを反映した出逢いや確認みたいなことがパラレルで起こりながら精査されてゆき、本当に深くかかわってゆく人との絆が深まってゆくように感じています。

 

 

 

いずれにしても、もう怖れなどにフォーカスしている暇はありませんね!

 

自分がどう在るのか?その望み、展望に意識を向けて駆け抜けてゆく時です。

 

本氣で真剣に人生を楽しむってことです!

せっかくなら、みんなが笑顔になること、そしてお互いに生成発展してゆける関係性でつながれたらいいですね^^

 

お互いに認め愛、フラットに楽しくふんわりと生きるのが最高☆


そしてワクワク特盛でお願いします!

 

 

 

今日は

2017年⇒【1】

1月11日⇒【111】

【1111】の日ですね。

 

1111のエンジェルナンバーの意味とは?

 

【1111を見た人へ】

 

エネルギーの通り道が開きました。

あなたの思考は素早く現実のものになります

この時期は思考を賢く選んでください。

思考があなたの願望と一致したものであるようにしてください。

そして恐れには一切エネルギーを費やさないように気をつけましょう。

そうしないと、恐れまでもが現実になってしまいます。

恐れではなく望みの方にしっかり意識を集中しましょう。

 

1111のユリゲラーによる解釈とは?

 

1111が頻繁に目に止まることは、私たちの転落に先立ち予め(あらかじめ)コード化され細胞の記憶に組み込まれた起爆装置です。

この数字によって人々の記憶は再活性化され、二元性の終わりが近いことを知らせています。

1111は、私たちの最も高次な真理と一致しており、正しい方向へ向かっていることを確認するサインになります。

あなたと霊界の間に直接的な回路が開かれ、より”大きなもの”を見ることができるでしょう。

「自分の周りを見回し、本当に起きていることをよく目を見開いて見るように」と、聖なるものが告げています。

真実でない世界に私たちが縛りつけられているという幻想を見抜き、突破するときです。

 

【1111を見た人へ BYユリゲラー


シンクロニシティの始まりを知らせる宇宙からのサインです。

使命を果たし始める時期にさしかかっています。

「まさに今やり遂げるべき使命があるよー」とモーニングコールのように教えてくれています。

 

まとめ

 

1111を見るときは、思考が現実になりやすい時期と言えます。

そのため、心を常に上向きに保ち、良いことを考える習慣を持ちましょう!

いずれその理想が遠くない未来にやってきます。

今からワクワク胸を踊らせながら、その時を待ちましょう!!

 

niconicohappy.com

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

ゆめのたね放送局より

2017年2月

ラジオパーソナリティデビューいたします!

応援よろしくお願い致します♪♪♪

 

眞穂乃~mahono~