自分よりも相手のことを優先させることは本当に素晴らしいことなのか?
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かつての私は人の氣持ちをすぐに察するというか、周りの人たちの顔色を伺うことが習慣化してしまっていました。
そんなかつての私がよく引っかかっていたタイプの人が、やって欲しいとは自分からは言わないで相手から「・・・じゃあ、やりましょうか?」と言わせようとするタイプの人のオーダーです。
そういう人の話をお聞きしていると、言わせようとしているのがありありと伝わってくるので、話を聞いているのが段々と面倒になってきてしまうのです。
だって、相手に言わせようとしている訳なので、聞いてくれるまであの手この手で訴えてきてなかなか引き下がらないでしょ。
なので、「自分が引き受ければ話が終わるのかな・・・」という感じになってきて、面倒な話を終わらせたいがために自分の氣持ちは後回しにして相手の引き受けさせようとする圧にいつも押し負けていたのです。
しかし、そういうことで引き受けてしまったものって、当然のことなんですがやっていても全然楽しくないんですよね・・・。
色々な経験をしてからは、それでもしっかりと切り替えてことにあたるようにはしていましたが、それでもね・・・内面の奥深くでは納得し切れていない訳で・・・
すべてのことに全身全靈、心を込めて行いたいと思う自分の心を蔑ろにしてしまうと、押しつけられたものを行う時にうまく心の切り替えができなくなってしまい、どんどんと苦しくなってしまうんですよね・・・
そりゃそうです。
嫌々仕方なく引き受けているのですから。
まだ自分でやる意味を見出だせることならばいいのですが、本当はまったくやりたくないと思っていることであれば、尚更・・・です。
かつての私は、薄々そうなるのわかっているのに、いい顔をして引き受けては勝手に自爆してました。
今は幸いなことに、無理難題を相手に自発的にやらせようと圧をかけるような人が周りにいませんので、そういうことはなくなりました。
しかし、かつて超がつく自虐的な考えだった20代の頃には、こういうことが本当に頻繁に起こっていました。
私自身、自尊心がまったくなかったので、自分がどうなのか?を考える回路が頭になくて、相手のことばかりを考えていました。
とはいえ、それはそうすることが自分にとっても一番いい選択なんだと思い込んでいたからなんですよね。
自分さえ耐えれば、引き受ければ丸く収まるよね・・・それですべてうまくいくんだから・・・と、頼まれていなくても勝手に無意識にそう思って引き受けていました。
しかし、結果として全然うまくいっていなかったのです。
当たり前ですよね・・・自分のことを考えることなどなくて、大切にするなんてことを知らなくて、心はずっと無視されて蔑ろにされっぱなしだったのですから。
自分の思いを正直に話しても、自分も周りもちゃんと幸せになることができるなんてことはまったく考えられなかったのですから、うまくなどゆくはずがないのです。
相手の顔色ばかりを伺っていたのは、他人から大切にされたい・・・愛されたい・・・評価して欲しい・・・褒めて欲しい・・・という承認欲求を満たすためでした。
自己承認ができず自己肯定感が醸成されないが故に、他者から何らかの形で承認されたい、認められたい、愛されたい・・・と、心の奥底で無意識に求めていたのです。
他者からの承認を得て心の渇望感を埋めようとして、求めれば求めるほどまったく上手くゆきませんでした。
それは、母親から認めて貰えなかった、褒めて貰えなかった(と自分が捉えていた)から、他者から認められることでその穴埋めをするために無意識に求めていたんです。
この頃の自分に言いたいことは、
「他人に大切にされたいと願うのではなく、自分を大切にしてあげて!」
ってことです。
外側にいくら求めても、心の渇望はまったく埋まりません。
それどころか・・・求めても求めても得られない経験をわんさかさせられるという地獄絵図コースを辿りますよね。
私はこれだけ我慢していい子にしているんだから与えて!と、ギブアンドテイクの心で求める ⏩ 自分が思うようなテイクが得られない ⏩ フラストレーションが溜まる ⏩ 爆発する
・・・という、負のスパイラルまっしぐらです。
我慢していることって、受け取らないで流しているつもりでも、結局はどこかに溜まっているものなので、ある日その我慢が限界に達すると・・・『もう無理!』となってしまいます。
本人からすると、ある日突然、嫌になった、無理になったのではなくて、ずっと我慢してきて蓄積した結果として『もう無理!』が起こっているのですが、相手にはテイクを求めるために嫌だなぁと感じていることをなるべく悟られないようにしている訳なので、相手からしたらある日突然にそれは訪れた・・・となっているでしょうね。
『自分は自分のまま、そのままでいい』と自己肯定感が醸成されないことは、結果的に自分も周りもとても不幸にします。
相手の思いと自分の思いを対等に扱ってあげることはとても大切なことです。
相手を尊重するのと同じ様に自分の心も尊重してあげると、自分の意見を正直に伝えても自然と周りの人たちとも和してゆけることが次第に見えてきます。
相手の顔色ばかりを伺い、自分が我慢すればいい・・・と感情を抑え込んでいる状態は、自分を知らない間にとても傷つけています。
結果としてそれは自分にとっても周りの人たちにとっても、どちらにとっても善いことではありません。
相手も大切、だけど自分の氣持ちはもっと大切!と思っていいんです。
自分の本当の思いを正直に認めること、その思いを大切にしてあげることが、相手に見返りを求めずに対等に接することに繋がりますし、自分の意識の領域を大きく拡げることにもつながります。
自分がして欲しいことがある時には、相手に言わせるのではなく、ちゃんと自分から「こうして欲しい」と伝えることができる人でありたいと思います。
そして、周りの人から自発的に「こうしましょうか?」「こうしたいです」とご提案いただくことをしっかりと受け入れられる人でありたいと思います。
そうしてお互いに素直に正直に自分の本心を伝え合えるのはとても素敵なことだなと思います。
本当に真心で相手のことを尊重するのは素敵なことです。
しかし、かつての私のように根底にある承認欲求を満たすためであれば、それはお互いにとって幸せな状態ではありません。
同じ言動であっても、その心の在り所がどこなのかによって、素晴らしいのかそうでないのかが決まります。
自分の言動の心の在り所がどこにあるのか?それに尽きます。
自分も相手も同じ様に大切です!
どちらかに偏るものではなく、どちらも大切なのです。
自分のことばかり大切とすると我侭になりますし、相手ばかりを大切とすると卑屈になってしまいます。
どちらも大切という視点で見つめるといいですよね。
相手にも都合があるだろうけど、自分の都合もあります。
相手の都合ばかりを優先しなくてもいいし、無理に引き受けなくてもお断りしても大丈夫なんだと次第にわかってきます。
自分と相手を同じ様に尊重する様になると、自分が調和しようと努力しなくても自然と和してゆきます。
~with all of my heart~
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眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)
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