ゆめのたね大学での学び ②ブレークスルーした先に見える景色にワクワク☆

 

 

 


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今日はゆめのたね放送局でゆめのたね大学の第2回目の講義でした。

 

 

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ゆめのたね放送局の空間がさらに素敵にリニューアルされています。

改装工事が完了し、これから空間創造に入ってゆくそうです。

この扉がとってもいい感じ~素敵でした。

 

 

 

計3回ゆめのたね放送局で講義があり、後はオンラインで課題などがあります。

 

講義内容は内緒なのでここには書けません。

今回も講義の最後に模擬収録がありまして、自分の人生の大きなターニングポイントになったことを1人3分程度話すとのことで、自分の人生のターニングポイントになったことやハイライトを書き出してみました。

 

  

 

【人生でのターニングポイントやハイライト】


◆ターニングポイント◆

ターニングポイントの1つ目は、母親が病氣になり5年間闘病生活を送ることになった時です。

母が混合性結合組織病という国指定の難病であることがわかったのは、私が25歳の時でした。

その上に、悪性リンパ腫を併発したのです。

誰も治療法がわかりません。

阪神淡路大震災での罹災からようやく落ち着き、母の呪縛…今よく言われる毒になる親という奴ですが、自分の善いと思うこと…善意の押し付けが激しく支配的だった母の呪縛から逃れようと独り立ちをしようと決意した直後にそれは起こりました。

そのため、結局は独立することはできず、仕事と母の病院への往復と家事とに追われることになりました。

最初は本当に葛藤しましたし、それまで考えていたこと…自分は一体何のために生まれて来たのだろうか?という疑問が再び再燃してとても苦しかったことを憶えています。

しかしその時、様々な葛藤はありながらも、母の病氣を通じて病の多くは自分の意識が創り出しているものなのでは?と感じるようになりました。

そしてそのことが自分の人生へと向き合う姿勢の転換へと導いてくれました。

そして5年の間の母との深い交わりの中で、ずっと支配されていると感じていた所から、真に和解するまでに至ったのです。

しかも、母の死の間際に共に過ごした時に体験した不思議な体験(見性体験)と母の供養をしたいという思いが湧き出たことにより、その後の人生を劇的に変えるプレアデスで一緒だったというお寺の住職との出逢いに導かれ、そのお寺のお蔭でやがて今の主人と出逢うことになりました。

 

2つ目は、ディクシャとの出逢い、インド行きの末に離職…。

お寺で母とご先祖様の供養を行うために明石から丹後まで毎月通っていました。

数年通い続けたある時、お寺で施餓鬼供養を行っている時、ご先祖様方からメッセージがやってきました。

『これまでよくやってくれた。これからは自分の人生を生きよ』…と。

しかし、そのことをお寺の関係者の方になかなか言い出せずにいたのですが、主人の整体業の開業を理由に毎月通うことを止めることになりました。

止めた翌月にTwitterでつながった全然お会いしたことのない方から、ダイレクトメッセージが送られてきて、とある人に連絡をしてという不思議な連絡が。

怪しすぎる連絡なので最初は断っていましたが、2度お断りしたのに3度目にまた言っていらしたので、渋々に近い感じでシャンタンという老人に電話で連絡をしました。

すると、大阪で瞑想会をするからぜひいらっしゃいと誘われ、最初は怪しすぎるお誘いにドン引きしていて、ずっとお断りしていたのですが…お話しているうちにこれまた根負けして、主人についてきてもらう形で一緒に参加しました。

それがディクシャとのはじめての出逢いでした。

その後、東京から明石に引っ越してこられる予定だったシャンタンさんの新居探しやその他諸々のお手伝いをするようになりました。

明石にやって来たシャンタンさんが開いたディクシャ会に参加し、ディクシャというエネルギー伝達を受けた時に『インドへ行く』というメッセージが直接やってきました。

シャンタンさんに伝えると、「それは行くことになるでしょうね」と言われました。

けれど、インドなんて行きたくない!と頭では思っていました。

なぜなら…海外でも文化的な場所ならいいけれど、インドのイメージが私の中では完全に飲料水も死体も混在しているカオスフィールドガンジス川のイメージだったので…そんな場所にわざわざ行くのは絶対に嫌だ!と思っていたのです。

それまでの自分の中では一生涯行くことがないであろう国…でした。

それにインドに行くには最低でも2週間、長いコースなら1ヶ月余りの休暇が必要なため、当時会社員だった私には絶対に無理だろうと思っていました。

しかし、その翌年はちょうど入社20年目の年で、3週間余りの休暇がいただけることになり………えぇ………行けない理由がどんどんと潰されて行き、結果的にインドに行きました。

お休みの枠の中で行けるコースということでトレーナーコースという、日本でディクシャギバーを養成することができるようになるコースを受講することになりました。

そんなに遠くない将来、会社で大規模な人員削減があるだろうから、それが来たら私は会社を辞めることになると旦那さんに告げていました。

それは1~2年前から私がキャッチしていた予知だったのですが…それが、インドに行くための休暇に入る3日前に通達がありました…鳥肌が立ちました。

そしてインドに10日間行き、色々な体験をした末に、日本に帰国、出社してすぐに会社を辞める旨を伝えました。

そして、今に至る…です。

色々なことが信じられない展開で、自分の人生が180度以上スパイラルで変わってしまいました。

しかし、その出逢いもご先祖様方や守護してくださっている方々のお導きだったのだと今はよくわかります。

 

◆人生のハイライト◆

旦那さんとの結婚です。

私は、両親から受けたトラウマのために絶対に結婚はしない!と心に決めていました。

母が亡くなり、実家から出ようと思っていた時に、知人に半ば強引に連れて行かれた新築マンションのギャラリーで即購入することを決め、ひとりで貯めたお金で2LDK+書斎ルームの新築マンションを購入しました。

私はその時は生涯そこでひとりで暮らすんだ…と思っていました。

暮らし始めると、どうしてか周りの既婚男性(複数)から変なアプローチを受けるようになりました。

独りでいるからこういう扱いを受けるのか…となんともいえない屈辱を感じ、次第に腹が立ってきてマンションの部屋の中で、『もう男性からこんな扱いを受けるのは嫌だ!』と叫び…真剣にパートナーがほしいとはじめて思いました。

すると…すぐに今の旦那さんと出逢い、出逢いから2ヶ月半で同居、4ヶ月で結婚式を挙げました。

結局、マンションでひとりで暮らしたのは約半年だけで、ベッドもひとりで暮らすはずなのに広々とダブルベッドを買っていたのだから、自分ではそうは思っていなかったけれど、マンションも最初から旦那さんと暮らすために買うように導かれていたのかもしれません…。

すべてのことを包み隠さずに何でも分かち合える人なので、お互いに過去にあったすべて(男女関係含む)を分かち合い、それにより思っている以上に癒され解放されることになりました。

人とかかわること、体験をシェアすることが素晴らしいと感じたのは、すべて旦那さんのお蔭です。

 

 

色々な出逢いが今の自分を形作っています。

中には信じられないような出逢いがたくさんあります。

今はそういうこれまでであれば信じられないようなつながり方でつながってゆくことが当たり前になってゆくんだろうな・・・と感じています。

ご縁、出逢いを大切に、ラジオを通じてとリアルとの両方から新たな出逢い、つながりを拡げてゆければいいな~と思っています!

それが応援、貢献につながってゆくと信じています!

 

~with all of my hearts~

  

 

 

ターニングポイントは本当はもっともっとたくさんあるのですが、特に印象的なものをチョイスしています。

文章で表現するのは文字数とか関係ないので、つらつらと書いてしまえばそれでいいのですが、ラジオなので時間の中にお話をまとめないといけないということで・・・。

前日になって焦ってそれぞれのエピソードを話し言葉にして読んでみたのですが、時間にまったく収まっていなくて・・・。

どうしたものかと思いながらも・・・早々に諦めてそのまま講義&模擬収録へ^^

 

 

 

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収録はタイムウォッチで計りながらするのですが、お話に夢中になっているとつい時間を見るのを忘れていたりして・・・。

なかなか難しいです。

ですが、お話をするのはとっても楽しいですね!

 

 

 

昔、幼稚園位の時の私は劇の主役をやったりしていたので、目立つことが嫌いではなかったのに、色々あって目立たない方がいい・・・というマインドになっていたのです。

それが、前回もそう感じたのですが、収録をすると話すのが楽しい☆という感覚が強くて、本来の子供の頃の無垢な自分が甦ってきたような感覚があります。

 

子供の頃、私は相当変わった子供だったらしく、母親はまともに大人しいいい子にしようと一生懸命でした。

その影響で・・・自分の個性を抹殺して生きることになっていた訳ですが、それが払拭されてゆくような・・・本来の自分に戻ってゆくような、とても生き生きとした感覚がありました。

 

会社員時代に、全然そんなことをするキャラではないと思っていた私が、パソコンを作るイベントのイベントリーダーを自ら引き受けて、とても大きな自己認識のブレークスルーがあった時ととても似た感覚です。

その時も、その後に大きな転換があり、その後の退職までの4年間は退職後に必要なスキルを学ばせてもらうための期間となり、本当に色んな体験をさせていただきました。

自分には考えられない、それはないな・・・ということがやってきた時に、勇氣を出してともかくやってみると、思いも寄らない素敵な展開になるんですよね、必ず。

 

今までこういう形で話すなんてまったく考えたことも無かったことでしたし、こういう形・・・ラジオ収録で話すことがこんなに楽しいなんて、それこそ思いもよらないことでした。

何だかよくわからないけれど出続けるGO!サインに従ってみて本当によかったなぁ~って思っています。

 

今、ブレークスルーした先に見える景色にとってもワクワクしているんです^^

まだトレーニング中なのですが、放送が始まることをイメージすると、とっても楽しくワクワクしています。

放送が始まって、自分自身が確実にブレークスルーを果たしている姿が見えている感じで、その景色にとてもワクワクしています。

何だかもう、楽しいことしか待っていない感じがしますし、この先、さらに色んな出逢いやご縁へとつながってゆくのだろうな~と。

 

 

 

これからさらに具体的に番組を形作ってゆく訳ですが、自分もゲスト様もリスナー様もみんなが楽しくなる番組にできればいいなぁ~と思っています!

私が一番蔑ろにしがちなこと・・・『自分自身も楽しむ』という部分を特に大切にしたいと思っています。

パーソナリティがワクワクと楽しみながらできていたら、それってとっても伝わるので、出ていただく方も聴いてくださる方も、自然にとっても楽しくなると思うのです。

妄想・・・もとい構想を固めてゆきます☆

 

 

 

ラジオでの収録はパーソナリティとしてでなくても、ゲストとして体験することが出来ますよ^^

これから番組を構築してゆくので、どういう形になるかはまだまだ未知数なので、なかなかお誘いしにくい部分もあるのですが・・・。

もし、ゆめのたね放送局のラジオ収録のゲストとして出てみたい!話してみたい!伝えてみたい!とピン☆ときた方、そうでなくても出てみたいな・・・とか、自分のことを知って貰いたいな・・・と思う方、また私と対話したい方がいらっしゃいましたら、 ぜひぜひゲストで出演してください。

他薦でこんな熱い人がいるとか、素敵な人がいるとご紹介をしていただくのも全然OKです^^

自薦他薦はまったく問わないのですが、その方の活動や意識が番組の主旨や理念とあまりにもかけ離れている場合にはお断りすることもあります。

その点はご了承ください。

私の方から出演依頼をさせていただくこともあるかと思いますが、白羽の矢が立てられた方は、ひとつの経験としてお引き受けいただけると嬉しいです^^

 

 

 

 

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~with all of my heart~ 

 

Soul Creation Artist

眞穂乃 -MAHONO- (*^O^*)

 

 

 

ラジオパーソナリティのトレーニング中です♡
応援よろしくお願い致します♪♪♪

 

眞穂乃~mahono~