インドへの道程①

 

 

 

眞穂乃のブログにお越しくださり、
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インドに行くことは
本当に電撃的に決まりました。

行くことが決まってから思い返すと、
やはりすべてがそこに向かっていたな…
ということばかりでした。

その点と線のつながりが見えてくると、
私たちはいかに導きの中に在るのかが
見えてきます。

今日ここに書くのはインドへと導かれる道程として
起こったことの告白的な内容です。

なので、インドのお話はまだまだ出てきません。

しかもかなりの長文です。

ご覧になりたい方だけどうぞ~という感じです。






私個人的なつながりの方の中に
いつもとても親切にアドバイスを
くださる方がいました。

自分から何かを聞いた訳ではなくても、
神様からのメッセージを伝えるという名目で
結構な頻度で電話がかかってきたり、
メールなどが来たりしていました。

最初は本当にありがたいことだと思い、
そのアドバイスを受け入れていました。

性格的に人の話を受け入れない人だな…
ということには氣がついていましたが、
それもその方の個性だと思い、
わかった上でお付き合いしていました。

やがて、そのアドバイスが少しずつですが
恣意的だな…と感じるようになってきました。

というのは、
夜遅い時間に電話がかかってきて、
2時間3時間話すことが結構な頻度で起こり、
何かを行っている手を止められることが
何度もあったからです。

確かに最初の入り口は
神様からのメッセージなのですが、
やがては関係のない話に発展してゆき、
長々と話し続けるのです。

私も最初の頃は楽しかったのですが、
こういうことが度重なってくると…
ちょっとずつ辟易としてきました。

話している時は楽しいですが、
電話が終わった後、
いつも釈然としない思いが浮かびます。

いつでも私はかかってきた電話を
拒否することはありませんでしたが…
私から電話をすることはほぼありませんでした。



そして、最初はそんなことはなかったのですが、
いつの頃からでしょうか…
段々とマウンティングされているな…
と感じるような言動が増えてゆきました。

ある日、自分が描いた魔封じの絵画を
『持って行くね』とその方が仰り
逢う時に持って来てくれました。

それを受け取って別れた後で電話で
金銭を要求されました。

それは私が欲しいと求めたものではなく、
勝手に『持って行くね』と持っていらして、
逢った時に金銭のことは何もおっしゃらずに
渡されました。

販売する作品であるとの説明も何もなく、
私は欲しいと言った訳でも何でもないのに
勝手に持って来て
『これはあなたのものですよ』
と何の説明もなく一方的に渡しておいて、
後になって金銭を要求するって………
私にはとても信じられないことでした。

電話で金銭を要求された時、
本当にビックリしてしまいました。

その上、自分で金額を決めて欲しいと言われ、
『そんなのわからない』と答えると、
描いた時間と時給としてこれ位は欲しいと
いう額を言われ………。

10センチ四方の画用紙に描かれた
魔封じの御札?みたいなのに結局10,000円
支払いました。

この時点でもうアウトだよな………
と思っていたので、
魂友だとか心友だというスタンスから
かなり冷静にその方を見るようになりました。



そこからしばらくはやり取りの中で
その方の傲慢さを感じることになりました。

あぁ………結局はこの人は
自分が上でないと駄目なんだ。

自分の中の氣づきをシェアして
よろこびを共有しようと私が思っていても、
自分はもうそんなことはとっくの昔に
わかっているから………というニュアンスの
言葉をブッ込んで来て、
漸くわかったんだと上から目線で揶揄しました。

………別にいいんですけど、
私や旦那さんは誰が上とか下とか興味ないので。

いちいち何かにつけて自分が上だと
マウンティングして来るのがめんどうだな………
と思っていました。



ある時、細かなことは書けませんが、
その方から私にお電話があり、
自分の関係のご先祖様の解放の話をされました。

そのことについての見解があまりに他人事で
本当に驚きました。

自分自身には何も問題はないけれど、
ご先祖様に問題があるからそこをどうにか
解放しないといけない。

というような言い様をされていました。

私たちはすべてつながっていて、
それはご先祖様でも例外はありません。

ですから、ご先祖様のことで今何か問題というか
テーマが浮かび上がってきたとしたら、
それはその該当のご先祖様だけの問題ではなく、
それを見ている自分と共通する所があります。

なので、その他人事なスタンスというのが
まずズレていると私は感じましたので、
そのことを率直に伝えました。

しかし…結局3時間ほど話しましたが
話が平行線で交わることがありませんでした。

それまでも少しずつボタンが掛け違ってきていて
私の方からは一切連絡は致しませんし、
その方からの連絡もかなり減っていました。

しかし、
その見解の相違をはじめてハッキリと伝えた
3時間にも及ぶ電話から後、
その方から連絡が一切来なくなりました。

その前にもその方がとてもいいとおっしゃる
過去生の記憶を消去する?というような療法を
されている方のご紹介をやんわりと断りました。

自分の意志をハッキリと伝えるようになってから、
彼女の態度が次第に変化してきていましたが、
その3時間にも及ぶ電話が臨界点だったのだろうと
思います。



私は自分の感じたことを淡々と話しただけなので、
そこに何の感情もないのですが、
その方の中では相当に腹が立ったのではないかと
思います。

自分の意見を何とか受け入れて貰おうと
必死だったので…

けれど、違うと感じることを曲げて
合わせるのは違うと思ったので
キッパリとした態度で対応したのです。

別にその方のことを否定しているのではなく、
私はそうは思いません、
こういうことではないですか?
というスタンスで話し続けていただけなんです。

けれど、
それを否定されたと捉えるのなら、
それはその方の問題だと思います。



まったく連絡がなくなったので、
相当に腹が立ったのだろうな…
とは思っていました。

それがそれだけに終わらずに、
何をどう話しているのかは私には
ハッキリとはわかりませんが、
私のことを批判しているらしい…
と伝え聞きました。

ですが私には何も言って来ません。

私としてはどれだけすれ違ったとしても
相手のことを悪く言ったりこき下ろしたり
することはとても考えられませんでした。

互いの主張が異なることは当然あるでしょう。

皆、認識している世界が異なるのですから、
それはどこでも起こりうることだと思います。

しかし、相手と自分の主張が異なっている時に
その違いを認め合えるかどうかで人間関係が
大きく変わって来るのではないかと思います。

何でも自分の言っていることだけが正しくて、
同調している内はいいけれど、
違う意見を述べる人が現れた時に
間違っていると攻撃したがるというのは、
いくら霊的なセンスが高くても
人間としての精神性が成熟していない
ということを示しています。

いくら素晴らしい霊的なセンスを
持っていたとしても
自らの心に驕りが出て来ると
次第に狂ってきます。

驕り高ぶりにより自らの心の曇りが
次第に見えなくなってくるのです。



最初に影で自分の知らない所で
私のことを誹謗中傷していることを
聞き及んだ時はショックでした。

どうして………
真の友達であれば互いを高めあうために
切磋琢磨するでしょうが、
表では私に何も言わないでいて、
影で貶めるようなことを述べている
その心を想うととても淋しかった。

しかし、ちょうどその時、
鳥取のとある神社を訪れた時、
神社に入るなりメッセージを受け取りました。

メッセージ

あなたが出来ることは、嘆き悲しみ同調することではありません。

その様な感情では何も変わりません。

出来ることは、あなた自身の認識を変えることです。

そのお相手と同調せずに、あなた自身が光へと近づいてゆくことです。

自分のステージを上昇させるのです。

成長することでしか変容は起こりません。

あなた自身が光となるのです。


…という内容でした。

最初はどなたからいただいたのかわからなかったのですが、

スセリヒメ様でした。

その神社でスセリヒメ様からのメッセージを
受け取ってから、

内側が大きく変容したようでした。

最初に誹謗中傷をされていると聞いた時に感じた
感情の揺らぎがまったくなくなったからです。

この頃、本当に色々なことがあり、
内面の光が強まってゆくのがわかりました。



アシュタールのセッションを偶然知り、
導かれるように行くことになったのも、
自らの光を強めるためだったと後でわかりました。



私は元来、スピリチュアルなことに対して
とても懐疑的な人間でした。

天使や聖霊、アセンデッドマスターからのメッセージなど
人がやっているのはどうでもいいのですが、
自分が関わることがまったく考えられませんでした。

それが自分の過去生や今生的なチャージの影響から
その感情が生まれているのはわかっていました。

わかっていてもなかなか取れない根深い部分で
燻っているモノが一連の出来事で次第に浮き彫りに
されてきていたのです。



冒頭に書いた方も霊的なセンスは抜群に素晴らしい方です。

本当に、私などそういう類のセンスではないので
そんな素晴らしい才能に恵まれているなんて、
もっと有効に使われたらいいのにな…と心から思います。

しかし、霊的なセンスだけが突出していても、
有効には使えないのです。

もしそのセンスを生かそうとするのなら、
精神性、意識のレベルの向上が必要です。

私たちが自分の持っているセンスを生かせるのは
人との関わりの中…つまりは人間関係の中です。

霊的なセンスがいくら高くても鼻持ちならない
傲慢な人だと人々の中で適切に
そのセンスを発揮することが難しいでしょう。

傲慢な心で人にはない力で心を蹂躙し
支配するのであれば、
そこに残るのは歪んだ関係性だけで、
歪んだ関係性の中には真の喜びや一体感は
生まれません。



言うなれば、私たちは精神性、意識のレベルの向上のために、
自己認識を拡大し続けるために生まれてきているので、
霊的センスというのはおまけなのだと想っています。

あれば便利なものでしょうが必ず必要なものではないです。

なぜならば、意識が拡大してくれば、
集合意識に自然とアクセス出来るようになるので。



私自身、今生的にもあるのですが、
人とは違っていることで妬まれたり
閉じ込められて一生涯自由を奪われたり…
という過去の記憶が足枷となって、
本当に自分の感じていること、
受け取っていることを
自然とセーブしてしまっている部分を、
いい加減に解除する必要がありました。

私がもっとも怖れていたのは、
人生における自由意志を奪ってしまうことでした。

誰かが発したことを主体性なく受け入れてしまう。

霊能者や占い師のような立場の者が強く働きかけて
その方が言うとおりにさせるようなことだけは
絶対にしたくありませんでした。



人生の主役はそれぞれの人です。

助けにはなっても主体的にどう生きるのかは
それぞれの人に委ねられる方法を探していたのです。

自分の発した言葉が誰かの何かの縛りになることを
極端に怖れていました。

怖れているが故にそういう人が現実に現れていました。

冒頭の方はそれを私に見せてくれていたのです。

これまで出逢ってきた霊的センスは優れているけれど
精神性がまだまだ未熟で残念な人たちは、
私の氣づきのために現れてくれていました。

ずっとずっと怖れていたこと…
自分が発したことの影響力が大きくなることが
とても怖かったのです。

そのことがわかった時、
本当に晴れ晴れとした心となりました。



そういう氣づきが起こった時、
インドへの扉が突然開きました。

それまで自分はもうインドへ行くことは
ないだろう…
と思ってただけに驚きました。

そのことは次回に。






インドへの道程②lsm.hateblo.jp
につづく






Soul Creation Artist
眞穂乃 -MAHONO- (*^О^*)